江戸中期、上田秋成によって書かれた怪奇小説集『雨月物語』には、現代人もびっくりしてしまうほど開放的な性意識が底流している。
たとえば「菊花の約」はホモセクシュアルな香りただよう男同士の友情物語。「浅茅が宿」は長らく放置された妻が幽霊となって夫を待ち続け、ようやく戻った夫と同衾する放置プレイ&幽霊姦話。「青頭巾」は小児性愛、ネクロフィリアおよびカニバリズムが話の主題である。
これらの欲望を、しかし秋成は、人間という存在がなかなかに切り離すことのできない、切ない「愛執」として描いている。欲望もまた、人間の性である……と。
こうした姿勢は、前近代に四民の手本とされた武家の風習に端を発し、敷衍したものだ。
男同士の約束は大切に守られねばならない。放置され、死してなお夫の帰りを待つ妻など、女子の鑑であった。また、僧が女性と性交することを厳しく禁じた仏教界では、しかし男性として身体から湧き起る性欲のはけ口を稚児に向ける慣習があった。その切なさを描いた作品は、同じく厳しい制度的現実を生きる前近代の読者にとっては、浅ましくとも憐憫を禁じ得ない物語であった。
『誹諧武玉川』
これは、「妻となった女性に、昔のホモセクシュアルの相手を紹介している」場面を詠んだ古川柳である。
開明的性意識を持っていると自認する現代人でも、ちょっと引くほどの闊達さではあるまいか。
秀吉と男色
さて『老人雑話』に見られる、豊臣秀吉とホモセクシュアルのエピソードである。
秀吉の小姓に羽柴長吉(池田藤三郎長吉)という美少年がいた。ある時秀吉が、人気のないところにこの長吉を呼び出して、耳元でなにか囁いた。この噂を聞いた人びとは「日ごろ男に興味のない秀吉でさえ、長吉の美貌にはよろめくのか」……と驚いた。
しかし秀吉は、こっそり長吉にこう訊いたのである。
「お前に姉か妹はいないのか?」


