古代・中世・近世・近代――変貌する「美」
容姿容貌の美醜というものは、時代によって大きく変わっていく。
たとえば容姿でいうと、現代の「意識高い系」の女性はモデル体型を目指し、同男性はマッチョを志向するけれど、土偶などに見る限り、縄文の昔は多産系スタイルの女性が尊ばれたようだし、平安貴族は筋肉質な素速い動きを酷く蔑んだ。
容貌も、奈良・平安の古代以来しもぶくれのぽっちゃりした顔つきが好まれた。光源氏や在原業平は、平安の昔にあっては美男子だが、もし現在にいたら美男子とは評価されないだろう。反対に、現代のタレントやスターが往時にいったら、「貧相」とか「下じも顔」だとか、評判は決して良くなかったはずである。
近世・江戸時代になると、浮世絵美人に見られるような細面のうりざね顔が好まれるようになって、現代の美的感覚に近づいてくる。この変化は徐にシフトしていったようで、中世にあたる戦国時代は、ちょうど過渡期であった。
信長を輩出した尾張の織田家は代々、細面うりざね顔で、「美男美女」が一族の身体的特徴とされていたから、美的感覚も近世の萌芽といってよい。
秀吉の容貌は人種偏見丸出しにこき下ろしたヨーロッパの宣教師たちも、信長についてはむしろほめている。
ルイス・フロイス書簡『耶蘇会士日本通信』には次のようにある。
「この尾張の王は、年齢は三十七歳なるべく、長身沿痩躯、髭少し。声は甚だ高く、非常に武伎を好み粗野なり。正義及び慈悲の業を楽しみ、傲慢にして名誉を重んず。決断を秘し、戦術に巧みにして、殆んど規律に服せず。部下の進言に従うこと稀なり。日本の王侯は悉く軽蔑し、下僚に対するが如く、肩の上よりこれに語る。善き理解力と明皙なる判断力を有し、神仏其の他偶像を軽視し、教物一切の卜を信ぜず。宇宙に造主なく、霊不滅なることなく、死後何物も存せざることを明かに説けり」

