イケメンの一族だった織田家

信長の肖像として最も有名なのは、愛知県豊田市の長興寺所蔵の一幅だろうか。天正十一(1583)年に信長の家臣であった与語久三郎正勝が、狩野宗秀(季信)に描かせて、同寺に寄進したものである。亡くなって一年ほどの印象が濃厚なうちに描かせたものだから、生前のイメージからそう遠いものではないだろう。白い小袖に萌黄の裃をつけ、襟元には緋色の襦袢が垣間見える。なかなかお洒落な配色である。

狩野元秀画「織田信長像」、長興寺所蔵
狩野元秀画「織田信長像」、長興寺所蔵(写真=東京大学史料編纂所/PD-Japan/Wikimedia Commons

眉間の癇すじがやや神経質そうな印象だが、そこがまたリアルだ。与語正勝は、佐久間信盛に与力して信長に仕えた中級クラスの家臣であったから、叱られたり、可愛がられたりした思い出をそのまま絵師に伝えたはずである。ともかくもこの肖像からは、信長が、細面で、鼻筋の通った、整った顔立ちをしていたことが窺える。その他、神戸市立博物館所蔵の束帯姿の肖像や、信長の三回忌の際に秀吉が狩野永徳に描かせたという、浅葱の小袖に茶色の裃をつけた肖像(京都・大徳寺蔵)にも、同様の特徴が見られるから、おおむね、このような人物だったとイメージして遠くないのだろう。

また、信長の妹・お市の美しさは、多くの文書に記されているし、酒乱だったという父の信秀も、肖像画を見る限りは端正な顔立ちである。極め付きは信長の弟の秀孝で、『信長公記』で、「齢十五、六にして、御膚は白粉の如く、たんくわんのくちびる、柔和なすがた、容顔美麗、人にすぐれていつくしきとも、中々たとへにも及び難き御方様なり」――すなわち、肌はおしろいを塗ったように白く、唇は花びらのように可憐で、優し気なお姿で、顔立ちも美麗、その気品は喩えようもなく、途轍もなく美しい」と絶賛されている。まあ、織田家は、イケメンの一族であったわけだ。