一家避難を決めた「結婚当初のルール」

国際ジャーナリスト 
蟹瀬誠一氏

2011年3月11日の東日本大震災の際、私は学部長を務めている都内の大学にいました。なんとか自宅マンションに帰ると、16階の部屋は飾ってあった置物や本棚から崩れ落ちた書籍が床に積み重なり、ひたすら怯えている愛犬の姿が。その様子に、尋常ではなかった揺れの大きさを想像し、「自分が家にいたらどうなっていたことか」とゾッとしたものです。それから4日後の15日。私は妻と息子、娘、愛犬を連れて、年老いた母が暮らす三重県へ向かいました。原発事故の影響を考えて決断した、一家での避難です。

三重県には22日までの1週間滞在しましたが、この判断については賛否両論あるでしょう。大学の学部長が東京からいなくなってしまうのですから、敵前逃亡と思われても仕方ありません。私なりに「家庭を第一に」という考えに基づいて行動したのです。

「仕事と家庭のどちらを優先させるか」、これは家族を持つ男性にとってはなかなか難しい選択です。私は結婚当初から、同じようにフルタイムで働く妻と“家庭51%、仕事49%”の比率で最後のギリギリのところでは家庭を優先させると決めていました。さらに、これを単なる決めごとではなく、「家庭が第一」と心から思えたひとつの出来事がありました。

それは1993年。40代前半だった私は、日本のテレビ局のキャスターとして行ったモスクワで取材中、銃撃戦に巻き込まれたのです。弾が頭上を飛び交うなか、「俺はここで死ぬかもしれない」と覚悟した。そのとき、周りの景色が急にスローモーションになり、家族の顔が目の前に浮かんだのです。