「途上国から世界に通用するブランドをつくる」という理念のもと、バングラデシュやネパールでバッグ・洋服を製造しているマザーハウス。同社の代表取締役兼デザイナーとして海外と日本を飛び回る山口絵理子さんは、いまもっとも注目されている若手女性起業家の1人だ。山口さんがデザインしたバッグが並ぶ東京・台東区の直営店で、対談は始まった。
工業高校から一発で慶應大へ
【田原】山口さんは、最初から起業家を目指していたのですか。
【山口】いえ、全然。私が昔から関心を持っていたのは教育です。小学校のときにいじめられていたので、将来はもっと子どもが楽しくなるような学校をつくれたらいいなと考えていました。
【田原】いじめられた人は、非行に走ったり、学校をやめたりしがちですよね。なぜそういう道にいかなかったの?
【山口】柔道との出合いが大きかったと思います。けんかに強くなりたくて中2から柔道を始めました。
【田原】柔道ってほとんど男でしょ。男たちの中に入って大丈夫だった?
【山口】高校の柔道部には丸坊主の人たちが50人ぐらいいて、女子は私1人でした。男子とやれば強くなれると思って男子ばかりの工業高校に行ったのですが、私は48キロ級で、男子はほとんどが無差別級。最初から比較にならず、けがばかり。鼻は2回折れたし、ひざの靭帯はいまでも切れています。
【田原】それだけ練習したなら強くなったでしょう。
【山口】いえ、高1、高2のときはさっぱりで。メンタルがよくなかったと思います。練習で成長を実感できなかったせいか、「工業高校なんて選ぶんじゃなかった」と後悔するようになってしまって。そういう思いを抱えたまま畳に上がると、その時点でもう負けているんです。ようやくふっきれたのは高3になってから。最後は自分の力を出すだけだと思い直して試合に臨んだら、県で優勝して、日本でも7番になりました。