初めて売れたとき思わず叫んだ
06年のことだ。慶應義塾大学総合政策学部を卒業し、ゴールドマン・サックス証券に勤めて4年目に入っていた山崎大祐(28歳)のマンションは、奇妙なことになっていた。
大学のゼミで一期後輩の山口絵理子がその年の1月に、留学先のバングラデシュから、現地で生産したバッグ160個とともに帰国した。何とかして、このバッグを日本で売りたいという山口だったが、全く目処などなかった。
学生時代から山口の相談役だった山崎は、その窮状を見て、取りあえず自分のマンションを事務所と倉庫に使うことを申し出た。いまや途上国の素材を使ったブランドバッグとして人気の「マザーハウス」は、こうして山崎のマンションで産声を上げたのだ。
山崎のマンションには、山口を応援しようと何人ものアドバイザーたちが出入りするようになる。夜11時すぎに、山崎がゴールドマン・サックスの仕事を終えてマンションに帰り着くと、そこではまだミーティングの最中だったりした。
「帰れとも言えませんし……。僕も応援したい気持ちがあった。金融は朝が早いんで、次の日は大変なんですけど」
その頃、山崎は若いながらもすでに、エコノミストとしてメキメキと頭角を現していた。1年前にヘッドハンティングを受け、ゴールドマン・サックスを辞めたいと申し出たが、「君のやりたい仕事をやらせるから」と慰留を受けるほどだった。