収入は3分の1でも「物欲から解放された」

豊かで優しい里山の自然に囲まれて、家族の笑顔が素晴らしい。

<strong>ヒロクラフト代表 廣田充伸</strong>(43歳)●1965年、東京都生まれ。89年東京理科大学理学部第二部卒業。在学中から気象調査の仕事に携わる。91年上司と工学気象研究所を設立。2003年退職し、職業訓練校で1年間学んだ後、05年栃木県・那珂川町に木工所を開業。高1、中1、小3の3児の父。
ヒロクラフト代表 廣田充伸(43歳)●1965年、東京都生まれ。89年東京理科大学理学部第二部卒業。在学中から気象調査の仕事に携わる。91年上司と工学気象研究所を設立。2003年退職し、職業訓練校で1年間学んだ後、05年栃木県・那珂川町に木工所を開業。高1、中1、小3の3児の父。

廣田充伸(43歳)が、妻と子供3人を連れて、東京から栃木の山間部に移住してきたのは、05年4月のことだった。当時、長女は小学6年生、長男は小学3年生、次男は3歳だった。

東京にいたときには、廣田は局地気象のコンサルタント会社に勤めていた。送電線に積もる雪の量や風の影響を調べたり、新しく送電線を敷設する地域の気象条件を検討する仕事である。

「半分は現場に入って山歩きをし、半分はパソコンに向かってレポートをまとめるような具合でしたね」

東京理科大学の山岳部にいた廣田にとっては、まさに「天職のような仕事」だった。ただ職場は忙しく、朝は10時出社だが、帰りはいつも終電。職場で知り合った奥さんも「終電に乗っている8カ月の妊婦なんてほかにいないよねー」という具合だった。

長女を自宅出産するときも、助産婦さんに「もうすぐだよ」と言われながら、廣田は会社にファクスを送っていた。さすがに2人目、3人目のときは、それぞれ1カ月の育児休暇を取ったが、それがすぎるとまた元の生活に戻ってしまった。

「なんか、もう少し子供と接する時間が欲しいなあと思いましたし、田舎で暮らすことには、家内も賛成でした」