ここ数年、補助金やボランティア頼りではなく、ビジネスの手法を活用して社会変革を目指す「社会起業」というスタイルで起業する若者が目立っている。その先駆けが、病児保育事業を展開するNPO法人「フローレンス」代表の駒崎弘樹氏だ。若き社会起業家の目に、日本はどう映っているのか。田原総一朗が本音に迫る。

病児保育の仕組みに行き着いたわけ

フローレンス代表理事 駒崎弘樹氏

【田原】駒崎さんは、病児保育をNPOで行っています。これは、どういうサービスですか。

【駒崎】一般の保育園は、子どもが熱を出すと預かってくれません。親が看病できればいいのですが、仕事があってどうしても休めない場合もあります。そのとき保育園に代わって子どもをお預かりするのが病児保育です。

【田原】病児保育をNPOで始めるようになった経緯をお聞きしたい。駒崎さんは、最初、どこかに就職されたのですか。

【駒崎】いえ、大学3年生のときからITベンチャーを経営していたので、就職せずにそちらの仕事をやっていました。ウェブのシステムをつくったりしていたのですが、当時は競合が少なく、そこそこ食べていけました。学生5、6人で、売り上げは3000万円くらいあったでしょうか。

【田原】食えるなら、ITベンチャーを続けてもよかったわけだ。それなのにどうしてやめちゃったの?

【駒崎】2年くらいITベンチャーをやって、これは自分が本当にやりたいことではないなと。じゃあ何をやりたいのかと自問自答して浮かんできたのが、社会をもっとよくすることでした。

【田原】社会をよくするにしても、いろいろな選択肢があります。なんで病児保育に目をつけたのですか。

【駒崎】きっかけは、ベビーシッターの会社に勤めていた僕の母親です。あるとき母が、お得意さんだった双子のママから「会社をクビになったから、もう頼むことはない」と打ち明けられたそうです。そのママは子どもが熱を出して会社を休んだのですが、双子が風邪をうつしあったために休みが長引いて、事実上解雇されてしまったとか。その話を母から聞いて、そんなことが経済大国の日本で起こっていいのかと耳を疑いました。子どもが熱を出すのは当たり前だし、親が看病するのも当たり前でしょう。当然のことをして親が職を失うなんてありえない。それでいろいろ調べるうちに、病児保育の仕組みに行き着きました。