大山加奈(女子バレーボール元全日本)
相変わらず太陽のような笑顔である。10月某日。東京都内の『バレーボール教室』で、女子バレーボールの元全日本のエース、大山加奈が小学生に軽くパスを出す。
笑顔で声をかける。
「やさしいパスを出してる? やさしさを持ってパスを出せば、ボールにやさしさが伝わっていくよ」
28歳。このところ、小学生や中学生にバレーボールを指導する機会が増えてきた。大事にしてほしいと願うのは「思いやり」である。
「仲間を大事にしてほしい。仲間を思いやる気持ちを持ってバレーをしてほしいな、とつくづく思うんです」
日本バレーボール界の宝だった。小学校から中学校、高校とチームを強打で日本一に導いた。身長が187センチ。日本人離れした体格からのスパイクが持ち味で、18歳の時の2002年世界選手権で全日本デビューする。20歳で04年アテネ五輪にも出場。愛称が「パワフル・カナ」。同僚の栗原恵とともに「メグ・カナ」旋風を巻き起こした。だがふたりとも期待と実力のギャップに苦しんでいた。
とくに大山はケガにも泣かされてきた。高校時代からはひどい腰痛に悩まされた。日記には「痛い」「つらい」と書いていた。何度も泣いた。08年北京五輪を辞退し、腰の手術に踏み切った。リハビリは順調に見えていたけれど、もう心身とも限界だった。10年6月、引退。五輪メダルの夢はかなわなかった。
大山は引退の時、こう漏らした。「栄光と挫折。経験や財産を子どもたちやケガに苦しむ方たちに伝えていきたい」。それから2年。ロンドン五輪で全日本女子は28年ぶりの銅メダルを獲得した。
「最後はチーム力で戦ってくれました。感動しました。エースの木村(沙織)はレシーブもすごく上手だった。木村、江畑(幸子)、迫田(さおり)がきっちり打ちきってくれた。“絶対メダルを獲りたい”とひとつになって戦っていました」
やはりバレーボールはチームワークである。自身のバレー生活も振り返れば、ケガでどん底の時、救ってくれたのはバレー仲間だった。だから、子どもたちに「仲間の大切さ」をうるさく言うのである。
「やっぱり仲間ですね。仲間がいるから、ふだんの生活もがんばれるんです」