川北 元(バレーボール日本代表女子コーチ)

かわきた・げん 1976年、東京都生まれ。都立千歳丘高、順天堂大バレー部で活躍。99年、順天堂大学大学院スポーツ健康科学研究科で修士号取得。2001年より渡米。08年、北京五輪で銀メダルを獲得したアメリカ女子代表チームのゲーム分析や技術指導を担当。

ロンドン五輪でメダル獲得を目指すバレーボールの日本代表女子チーム。1つの特徴は、真鍋政義監督がコーチに分業制を敷いていることだろう。戦術・戦略コーチが36歳の川北元、チームの盛り上げ役でもある。

練習を覗けば、川北は選手と一緒に動きまわっている。スパイクレシーブ練習では、台の上に載って、「ヨイッショ」と大声を掛けながら、強打を放つ。汗が飛び散る。好レシーブをすれば、「ナイス・ジョブ!」「いいね」とすかさず声を出す。

川北が説明する。「極力、ポジティブな言葉を掛けるように努めています。いい時は、ナイス・ジョブ。悪い時は、もうチョイ。単純だけど、何がよくて、何が悪いのかを明確することが大事だと思います」

控えメンバーの空気が沈んでいれば、川北は選手のところにすっ飛んで行く。「ちょっと(気持ちが)落ちているんじゃないの。チャンスだよ。上げていけ、上げていけ」と笑顔で選手を乗せていく。

情熱のかたまりである。バレーボールが大好きで、コーチになるために順天堂大大学院でコーチング科学を学んだ。英語も満足に話せなかったのに、単身、バレーボールの本場・米国に渡り、安い自転車を買って、有名な指導者を訪ね歩いた。

最後は米国代表チームに押し掛け、ボール拾いから始めた。代表の郎平監督(元中国女子エース)に認められ、大学のコーチにもスカウトされた。2008年北京五輪には選手たちがカンパして、チームに帯同させてもらった。

今や英語は完璧。日本代表のコーチになるや、自費でブラジルに飛んだ。その後も時間があれば、トルコ、ロシア、セルビアなどに飛び、急成長の強化システム、戦術・戦略を学んだのだった。

「いま、とてもハッピーなんです。僕は12年間でやっとここまできた。日本代表のスタッフとして、オリンピックで日の丸のために戦えるんです。思念は業(ごう)をつくる。単身で米国を放浪していた時から、こうなりたいと念じていた。念じ続ければ、思い続けて努力し続ければ、きっと願いはかなうのです」

(平野敬久=撮影)
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