中垣内祐一(バレーボール日本代表男子コーチ)
一見華やかだけれど、実は忍耐の人である。現役時代は日本代表のスーパーエースとして、チームを引っ張った。1992年のバルセロナ五輪直前。中垣内はひざのじん帯を痛めながらも、痛み止めの注射を打って頑張っていた。闘争心はハンパではない。
つらい経験を数多く味わったはずである。日本代表が相対的に弱体化していく中、エースとして世間からの批判に耐えていた。1996年アトランタ五輪には出場できなかった。2000年シドニー五輪の出場権を逃し、日本代表を退く。04年に現役を引退し、堺ブレイザーズ(前新日鉄)監督に就任した。
愛称が「ガイチ」。筑波大学出身。理論派で通る。日本オリンピック委員会(JOC)のスポーツ指導者海外研修員として、米国やブラジルにコーチ留学した。昨年から日本代表のコーチに就き、新日鉄の先輩にあたる植田辰哉監督をサポートする。選手には、そう多くを語らない。どちらかというと、冷静なタイプである。コーチ留学で得た知識や経験を踏まえ、「選手には技術的な指導をすることが多いですね」と言う。
6月のロンドン五輪世界最終予選兼アジア予選ではベンチで戦況をノートパソコンで分析し、植田監督や選手に対策を伝える。ただ経験上、データを重視しながら、最後はハートの勝負だと信じている。
日本は苦戦が続いた。どんなピンチになっても、中垣内はあきらめない。時には両手をたたき、選手たちを鼓舞する。リードされてのタイムアウト。ポーカーフェイスの顔が赤みを増す。短く言葉を発する。「我慢だ。我慢。ここで我慢しろ」。
日本男子バレーは五輪出場権を逃した。まさに我慢の時を迎える。忍耐の44歳。やがて監督を託されることになるだろう。