松平康隆(故人・男子バレーボール1972年ミュンヘン五輪優勝監督)
女子バレーボールの“真鍋ジャパン”がやっとのことでロンドン五輪の出場権をつかんだ。天国の松平康隆もさぞ、ホッとしたことだろう。日本代表女子の監督を務める眞鍋政義が強い影響を受けたのが、じつは松平である。
松平は昨年12月31日、死去した。享年81。強烈な指導力で、男子バレーボールの日本代表を1972年ミュンヘン五輪金メダルに導いた。日本バレーボール協会会長をはじめとする競技団体の要職につくと、豊富なアイデアと実行力でバレー人気を爆発させた。
松平は生前、夫人と一緒に、必ず、バレーの国際大会の会場に足を運んでいた。後輩の面倒見もよく、都合がつけば、食事にも誘った。
眞鍋もそのひとり。松平からはよく、電話ももらった。一番、心に響いた言葉が、「常識の先には常識しかない」ということだった。「常識を何倍にしても、100倍にしても、その先には常識しかない。金メダルを狙うには、非常識を積み重ねていくしかないんだよ」と諭されたことがある。
つまりは非常識な練習をやらないといけないということだ。松平が、大型選手に対し、逆立ち歩きや体操を取り入れたトレーニングを強いたのは有名な話だ。ボールにひもをつけて回して選手たちにジャンプさせたり、トランポリンの上でジャンプしながらボールを打たせたり…。
眞鍋は松平の言葉を思い出し、レシーブ練習では男子コーチに至近距離から思い切り打たせている。木村沙織や新鍋理沙ら選手たちは、顔にボールをあてたり、腕にあざをつくったり……。眞鍋は松平から、「すべては五輪で勝つためにやれ」と言われた。
すべてはロンドン五輪のメダル獲得のためにある。監督の眞鍋はそう肝に銘じている。偉大な指導者の言葉は死してもなお、人々の心に生き続けるのである。