松平康隆(故人・男子バレーボール1972年ミュンヘン五輪優勝監督)

まつだいら・やすたか 1930年、東京都生まれ。64年、全日本男子チームのコーチとして東京オリンピックで銅メダル。65年、全日本男子チーム監督就任。68年、メキシコ大会で銀メダル。72年、ミュンヘン大会で金メダル(日本の団体球技では初)。時間差攻撃の発案者。89年、日本バレーボール協会会長。国際バレーボール連盟副会長、日本オリンピック委員会(JOC)副会長なども歴任。11年没。写真は72年ミュンヘン大会、2セット先取されてからの大逆転劇となった準決勝の対ブルガリア戦。

女子バレーボールの“真鍋ジャパン”がやっとのことでロンドン五輪の出場権をつかんだ。天国の松平康隆もさぞ、ホッとしたことだろう。日本代表女子の監督を務める眞鍋政義が強い影響を受けたのが、じつは松平である。

松平は昨年12月31日、死去した。享年81。強烈な指導力で、男子バレーボールの日本代表を1972年ミュンヘン五輪金メダルに導いた。日本バレーボール協会会長をはじめとする競技団体の要職につくと、豊富なアイデアと実行力でバレー人気を爆発させた。

松平は生前、夫人と一緒に、必ず、バレーの国際大会の会場に足を運んでいた。後輩の面倒見もよく、都合がつけば、食事にも誘った。

眞鍋もそのひとり。松平からはよく、電話ももらった。一番、心に響いた言葉が、「常識の先には常識しかない」ということだった。「常識を何倍にしても、100倍にしても、その先には常識しかない。金メダルを狙うには、非常識を積み重ねていくしかないんだよ」と諭されたことがある。

つまりは非常識な練習をやらないといけないということだ。松平が、大型選手に対し、逆立ち歩きや体操を取り入れたトレーニングを強いたのは有名な話だ。ボールにひもをつけて回して選手たちにジャンプさせたり、トランポリンの上でジャンプしながらボールを打たせたり…。

眞鍋は松平の言葉を思い出し、レシーブ練習では男子コーチに至近距離から思い切り打たせている。木村沙織や新鍋理沙ら選手たちは、顔にボールをあてたり、腕にあざをつくったり……。眞鍋は松平から、「すべては五輪で勝つためにやれ」と言われた。

すべてはロンドン五輪のメダル獲得のためにある。監督の眞鍋はそう肝に銘じている。偉大な指導者の言葉は死してもなお、人々の心に生き続けるのである。

(フォート・キシモト=写真)