藤原道長は3人の皇后の父親となり、摂関政治の絶頂期に出家する。なぜ権力の座から自ら降りることにしたのか。平安文学研究者・山本淳子さんの著書『道長ものがたり 「我が世の望月」とは何だったのか――』(朝日新聞出版)より、一部を紹介する――。
NHK大河ドラマで藤原道長役の柄本佑(写真=共同通信社)、紫式部日記絵巻(紫式部/CC-PD-Mark/Wikimedia Commons)

NHK大河ドラマで藤原道長役の柄本佑(写真=共同通信社)、紫式部日記絵巻(紫式部/CC-PD-Mark/Wikimedia Commons

光源氏と道長の明白な共通点

『源氏物語』の主人公・光源氏のモデルの一人は、藤原道長だろうと言われる。

確かに、〈栄華の人〉光源氏のあり方は道長によく似ている。光源氏は30歳を前に政治の実権を握ると、天皇の後見役を務めつつ、通常の貴族邸の四倍という大きさの豪邸・六条院に住み、風流を極めた暮らしを送った。その間には養女を梅壺女御として冷泉天皇に入内させ、実の娘の明石姫君を春宮妃とし、やがて二人をそれぞれ立后させた。

つまり、最終的に就いた「准太上天皇」という虚構の地位を除けば、彼には摂関期の権力者がとった典型的な行動パターンが詰め込まれている。そして摂関期の権力者の代表はと言えば、やはり道長なのだった。

紫式部が道長をなぞって光源氏を描いたかどうか、それは別として、道長の豪華な邸宅や、繰り広げられた天皇の行幸、四季の行事や荘厳な仏事、また娘を次々と入内させる後宮政策などを実際に目の当たりにしてこそ、リアルな源氏像が描けたことは間違いない。

光源氏は中年になっても色気があり、お茶目でよく冗談を言い、甘え上手で人に好かれた。一方、押しの強いところもあった。これらは道長の性格そのもののようにも思える。

「人より抜きんでた男」が知った絶望

さて、光源氏ももちろん老いる。そして人生の最晩年、彼は自分の〈光〉に絶望する。

いにしへより御身のありさま思し続くるに、「鏡に見ゆる影をはじめて、人には異なりける身ながら、いはけなきほどより、悲しく常なき世を思ひ知るべく仏などのすすめ給ひける身を、心強く過ぐして、つひに来し方行く先もためしあらじとおぼゆる悲しさを見つるかな(後略)」

(源氏の君は過去を振り返り自分の人生を思った。「自分は鏡に映る顔かたちからして人より抜きんでた男だった。だが幼いころからたくさんの人と死に別れ、人の命には限りがあるという悲しい真実を思い知らされてきた。それは私の身を通して仏がそう教えてくださっていたのだが、私はそれに気づかぬふりをして強気で生きてきた。しかしついに過去にも未来にも金輪際あるまいという悲しみに遭ってしまった……」)

(『源氏物語』「御法」)