ある家庭では、ひきこもりの子どもを「いない存在」として扱う。ある家庭では、夫の暴力支配が近所に知られないように、家族全員がひた隠しにする。限られた人間しか出入りしない「家庭」という密室では、しばしばタブーが生まれ、誰にも触れられないまま長い年月が過ぎるケースも少なくない。
そんな「家庭のタブー」はなぜ生じるのか。どんな家庭にタブーができるのか。具体事例からその成り立ちを探り、発生を防ぐ方法や生じたタブーを破る術を模索したい。
今回は、両親に捨てられ、祖父母に育てられながらも毒親の存在に苦しめられ続ける、30代の女性の家庭のタブーを取り上げる。
テレクラで“デキ婚”の両親
関東地方在住の猫田奈理子さん(仮名・30代・既婚)の両親は、父親が30歳、母親が20歳の時、テレフォンクラブで知り合った。出会ってすぐに交際が始まり、まもなく妊娠が発覚。最初は産むつもりでいた母親だが、次第に父親との仲が悪くなると「中絶する!」と言い出し、産婦人科に予約を入れてしまう。
中絶に反対する母方の祖母は、「子殺し! お前は最低だよ!」と言って母親を止めようと試みるが、聞く耳を持たない。そして迎えた中絶手術の日。猫田さんの母親が実家で中絶する病院へ行く準備をしていると、父親が来て言った。
「俺の母親も命を粗末にするなと言っている。中絶手術はやめろ」
父方の祖母も中絶に反対し、父親を説得していたのだ。猫田さんにとって、2人の祖母は命の恩人だった。
「改めて、私は父からも母からも望まれずに産まれて来たんだなと思いました。今こうして生きているのは、止めてくれた祖母たちのおかげです」
中絶手術が中止になったあと、父親が「責任を取る」という形で母親と結婚。2人でアパートを借りて暮らし始めたが、すでに関係がギスギスしていた2人。母親は臨月までは父親と一緒に暮らしていたが、陣痛が始まって入院すると、退院後もアパートに帰らない。実家に戻った母親は、祖母に育児を手伝ってもらいながら居座り続けた。
ところが産後2カ月ほど経つと、母親は猫田さんの世話をしなくなった。すべて祖母に押し付け、自分は一日中ゴロゴロしている。ついに猫田さんが産まれて5カ月後、両親は離婚。
「父はなぜか私の親権を取りたがったため、調停になりました。特別な理由がない限り母親が親権を獲得する場合が多いと思いますが、母方の祖父母が父方の祖父母より10歳以上若かったため、より子育てをサポートしやすいだろうということも加味され、母が親権を取りました」
当時、母方の祖父は45歳で現役の船員、祖母は46歳で専業主婦だった。結局、猫田さんが20歳になるまで父親が養育費を払うということが決まったが、父親は、「養育費は払うが、二度と妻にも娘にも会わなくていい」と言い、実際現在まで猫田さんは父親に会っていない。
「私はこの話を大きくなってから聞いて、父はなんて冷たい人なんだろうと思いました」