子ども時代に両親から虐待されてきた40代女性。国立大学卒業後、メーカーに就職。20代後半で結婚して家を出たが、親からは支配され続けた。診察を受けると「重度のうつ病」。両親と関係を断った。その後、父親が末期がんで余命2カ月との報を受けた女性の心に去来したのは悲しみではなく怒りだった――。

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洗脳でがんじがらめになっている人
写真=iStock.com/tatianazaets
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一筋の希望の光

幼少期から日常的に父親から暴言・暴力を受け、母親からも教育虐待を受けた高戸禎子さん(仮名・40代・既婚)。進学校の高校に合格後、不登校になると、両親は、3日程度は心配顔をした。ところが、その後はまるでいないもののように高戸さんを無視し、何事もなかったかのように元の生活に戻っていった。

高戸さんは一人絶望し、それでもぼんやりと、「このままでは自分の人生はより困難なものになる」ということは分かっていたため、「この苦しみから逃れるヒントはないか」と書店をさまよった。

すると、「もう二度と人間に生まれなくても済むよう、魂の学びを進めなければならない」という、いわゆる“スピリチュアル本”に出会う。

「私は一筋の希望の光を見た思いがして、『もうつらく苦しいばかりの人間なんかに二度と生まれたくない。そのためには魂の学びと来世以降の積み上げのために、今世は歯を食いしばって生きなければならない』と決意しました。高校生の私は人生の危機を、スピリチュアルにすがってなんとか乗り越えたんです。ちょっと引きますよね? でも当時の私には、自分を支えてくれる何かが必要でした」

大学進学を決意した高戸さんは、追試や補講を受けてなんとか高校を卒業することができた。強い学歴コンプレックスを持つ両親は、大学進学には反対しなかったが、「近所の安い大学しか許さない」と言った。高戸さんは薬学部に進学したかったが、「学費が高いからダメだ!」と却下された。

「薬剤師になれば、恐らく学費なんて就職後数年でペイできたと思われます。しかし、残念ながら両親の頭にはその計算式がなかったようです。彼らに養われていた私は、従わざるを得ませんでした」

高戸さんは、一浪して地元の国公立大の経済学部に合格した。

搾取する親

高戸さんが大学に合格すると、両親は親戚や知人に「うちの娘、国立大学に合格したんです。家庭教師しますよ! あんな子、お金なんていいんです!」と言って回ったため、低賃金やタダで家庭教師をさせられた。

「親の会社関係の人や親戚ばかりだったので無下にできず、大学時代は低賃金・長時間拘束の家庭教師しかする時間がなく、金銭的にとても貧窮していました。いつも同じ服を着て、底に穴があいた靴をボンドで修理して履いていました。飲み物を買うことさえ躊躇うほどでした」

高戸さんは大学を卒業後、メーカーに就職。働き始めると、父親が「お前の会社の福利厚生で、安く泊まれるいいホテルに連れて行け!」と言えば、母親は「ブランド物が欲しい」など、両親は高戸さんに擦り寄り、利用するようになっていく。

しかも「子どもが親孝行するのは当たり前」と思っているため、旅行に連れて行っても高価なプレゼントをしても、両親とも「次は何を差し出すんだ?」という態度で、「ありがとう」の一言もない。

「普通の親って、子どもが成長するにつれてどんどん干渉がなくなっていくんですよね? そして自立を促す。でもうちの両親は逆でした。私が大人になると、私にどんどん甘え、寄りかかってくるようになったんです」

あるとき父親は、「車を買い替えたい」と言って高戸さんの仕事の知人である車のディーラーを紹介させ、車を購入。しかし後日、父親は高戸さんの父親であることを理由に非常識なほど値切った上、さまざまなサービスを要求したということを知る。穴があったら入りたい思いに駆られた高戸さんは、すぐさま知人に陳謝した。

また母親は、「おいしいレストランに連れてって!」と言うため、高戸さんは行きつけのレストランに連れて行った。そのとき店員からデザートをサービスされて気を良くした母親は、その後も高戸さんではなく妹を連れてそのレストランを訪れるように。しかもディナータイムは高いからと、必ず行くのはランチタイム。そして注文するのは一番安いコース。

さらにあろうことか、来店の度にデザートをサービスしてくれた店員を呼びつけて、「高戸です〜! 娘がいつもお世話になってます〜!」と言ってアピールし、サービスのデザートをねだるのだった。