毒父が末期がん

両親と疎遠にし始めて約3年。高戸さんは両親との接触を控えていたことが功を奏し、うつ病が寛解状態になっていた。主治医から「仕事をしても良い」と言われ、新しい仕事を探し、働き始めていた。

そんなある日の夕食後、突然母親から着信がある。疎遠にし始めてからもしばらくは両親から連絡があったが、高戸さんが無視するように努めたところ、次第に途絶えていった。約3年ぶりの着信に迷った高戸さんは、しぶしぶながら電話をとった。

「お父さんが末期のがんで、余命2カ月だって!」

母親は取り乱した様子で言った。

高戸さんは淡々と、「わかりました、報告ありがとうございました」とだけ言ってすぐに電話を切った。

母親は、疎遠にする前も親戚が亡くなったという情報をきっかけに高戸さんに絡もうとしてきたことが何度もあった。恐らく今回も、父親のがんをきっかけに高戸さんに絡みつきたかったのだろうが、そうは問屋がおろさなかった。

電話を切ったあと高戸さんは、強い衝撃を受けると同時に、悲しみではなく激しい怒りが湧いてきた。それは父親に対する、「今度はこんな手を使って邪魔してくるのか。いつもいつも私の人生を邪魔しやがって!」という怒りだった。

その後も高戸さんは、やっと働けるようになったことがうれしくて意欲的に仕事こなした。だが、帰宅時には父親への怒りが込み上げ、「私はこれ以上、お前に人生の妨害はされない! 負けるもんか! 私は私の人生を大切にする!」と一人運転する車の中で涙を流しながら叫んでいた。

父親の余命が迫る中、高戸さんは一度だけ父親に面会に行った。父親のためではなく、自分が後悔しないためだ。それからまもなく父親は亡くなった。まだ60代前半だった。

入院しベッドに横たわる男性。指先にはパルスオキシメーターが付いている
写真=iStock.com/gorodenkoff
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「肩の荷が下りたという気持ちと、もうこれ以上父から迷惑をかけられることはないのだという安心感が同時に湧きました。もっと何かすべきだったとか後悔などがあるかと予想していたのですが、涙も出ず、自分でも驚きました」

高戸家のタブー

筆者は家庭にタブーが生まれるとき、「短絡的思考」「断絶・孤立」「羞恥心」の3つがそろうと考えている。

「短絡的思考」は、両親ともに見られる。何の前触れもなく突然不機嫌になり、妻や子どもに暴力を振るう父親。暴言を吐かれても耐え続け、娘に暴力を振るわれても庇わないどころか、「お父さんはアタシには絶対に暴力振るわないのよ!」と謎のマウントを取ったり、父親に暴力を振るわれている高戸さんを見捨て、妹だけ連れて避難するにもかかわらず、他人の愚痴や悪口、不満や不安は高戸さんにだけ吹き込む母親。高戸さんの両親からは、家族に甘える幼さがにじみ出ている。

父親は50過ぎでリストラされている。このことからも、組織の中で必要とされる人材でなかったことは容易に想像がつく。おそらく仕事でたまった鬱憤うっぷんを妻や高戸さんにぶつけていたのだろう。妹のことは溺愛していたと言うが、甘やかしも虐待だ。父親は親として娘たちを育てたのではなく、高戸さんは鬱憤晴らしの対象として。妹はペットのようにかわいがる対象として育てたにすぎないのではないだろうか。

母親はそんな父親をたしなめることはなく、高戸さんに対しては一緒になって責めなじったり、愚痴や不安を吐き捨てるゴミ箱のように扱い、習い事や勉強でがんじがらめにしたうえに、自己肯定感をそぐような言葉ばかり投げかける。

父方の親戚も母方の親戚も、「子どもは親孝行をするものだ」という考えに固執し、高戸さんに手を差し伸べることはない。そんな家族や親族に囲まれ、人間不信に陥っていた高戸さんは、友達や教師などに助けを求めることもなかった。

外面だけ良い父親には、親しい友人はいなかった。体裁ばかり気にして夫婦の悩みや不安を高戸さんにしか話さなかった母親も、心から気を許せる友人がいなかったのだろう。高戸家は、「孤立」していた。