小さい頃から母親に虐待されてきた女性(現在30代)は15歳の時に親と絶縁すると決心した。大学卒業し、地元企業に就職した後にそのプランを実現。ひとり暮らしを始め、親と物理的な距離を作ることができたが、完全には解放されなかった。怒りや悲しみが次からわきあがっては襲ってきたのだ。その後、結婚・出産した女性は幸せな時間を手に入れたが、自分も毒母になってしまうのではないかという恐怖と不安を抱えている――。(後編/全2回)

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額に手をやり、ため息をつく女性
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殺すか死ぬか

「最悪の日」のその後はどうなったのか。あわや実の母親から絞殺されそうになった“15歳の夜”のことを東海地方在住の奈良弥生さん(仮名・30代)は静かにこう語り出した。

「あの日まで、私には自殺願望がありました。毎日(DV被害が)つらかったので、終わらせたら楽になるんじゃないかと思っていたものありますが、私がいなくなれば、『両親は自分たちがやったことを後悔してくれる』『謝ってくれる』と思っていました。それと同時に、物騒な話ですが、親を殺すことでも頭がいっぱいになっていました。『家ごと燃やしてやろうか』とか、『寝ているところを……』など、毎日のように考えていました」

しかし最悪の日をきっかけに、考え方が180度変わった。

「もしも親を殺してしてしまったら、何年も少年院や刑務所に入らないといけない。出たあともろくな仕事には就けないだろう。親を殺した罪を一生背負うのは自分だ。自殺したとしても、両親に反省してもらえたとして一体何になる? そもそもあの母が反省するわけがない。むしろ“子に先立たれた可哀そうな私”に全力で酔うに決まっている。ろくでもない親のために、大切な自分の人生を棒にふるのはバカバカしい」

そう考えるようになったのだ。幸い、あの母親は自分の見栄のためなら、子どもの学費は惜しまない。

「だったら、親のお金で学歴を積めるだけ積み、親と完全に縁を切れるだけの収入を得る術を身に付け、経済的に自立してから確実に縁を切ってやろうと思いました」

たった15歳で、将来家を出るための長期的な計画を立て、親を利用できるだけして絶縁してやろうと思える奈良さんの頭の良さに感服する。