現在40代の女性の生い立ちは地獄だ。父親からは日常的に暴言暴力を受け、母親は兄だけ溺愛し何でも買い与えたが、女性の洋服はもらいものでボロボロ。両親は小学生になった女性の体のあちこちを触り、入浴時に覗き見した。とりわけ母親は脱衣所にいる娘の胸をジロジロ見て触り、「まだまだだな」とニヤリと笑うなど、異様な言動を繰り返した――。(前編/全2回)
暗い部屋でうずくまる少女
写真=iStock.com/AHMET YARALI
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ある家庭では、ひきこもりの子どもを「いない存在」として扱う。ある家庭では、夫の暴力支配が近所に知られないように、家族全員がひた隠しにする。限られた人間しか出入りしない「家庭」という密室では、しばしばタブーが生まれ、誰にも触れられないまま長い年月が過ぎるケースも少なくない。そんな「家庭のタブー」はなぜ生じるのか。具体事例からその成り立ちを探り、発生を防ぐ方法や生じたタブーを破るすべを模索したい。

今回は、毒両親に育てられた現在40代の女性の家庭のタブーを取り上げる。彼女の「家庭のタブー」はなぜ生じたのか。その泥沼から逃れられたのだろうか。

暴言暴力の父親、兄だけ溺愛する母親

関西地方在住の谷中紗里さん(仮名・40代・既婚)は、建設会社に勤める父親と、小売店の販売員をする母親との間に生まれた。

両親はお互いの親が決めたお見合いで出会い、父親が20代後半、母親が20代前半の頃に結婚。当時母親には好きな男性がいたが、親に反対され、別れさせられたという。谷中さんの1歳上には兄がおり、5歳下には妹が生まれた。

谷中さんが物心ついたときにはもう、父親からの暴言や暴力は日常茶飯事だった。

「父は短気で見栄っ張り、他人を見下すくせに小心者でした。私はそんなつもりで言っていないのに、少しでもバカにされたと思ったら制御不能になり、大声で怒鳴られ、殴られていました。私は何が地雷なのかわからず、父の前ではいつもビクビクしていました」

父親は「俺に感謝しろ」が口癖で、家庭では威張っていたが、決まった場所以外へは車の運転もできない小心者。おまけに嫉妬深く、母親が他の男性と話しただけで母親を殴った。

谷中さんが小学校に上がると、テストの点数や成績が良いときは褒めたが、そうでないときは怒鳴った。父親は、母親と一緒になって谷中さんの外見をけなしたが、父親は母親のこともバカにしていた。

「母は精神的に幼くて弱くて、父には逆らえないようでした。外面は良いですが、本当の友達は少なかったと思います。私は母から、父や隣人、同僚などへの悪口や噂話をしょっちゅう聞かされました。自分は美人だとうぬぼれていて、私や他人の外見をバカにしていました」

自分の見た目には自信があったらしく、事あるごとに「私は美人なのにあんたは……」と言われ続けた。

その一方で、兄は母親に溺愛されていた。やりたい習い事をやらせてもらい、欲しい物を買ってもらえていたが、谷中さんは洋服さえボロボロのもらいものばかり。同級生からは「ダサイ」とからかわれていた。学校で必要なものはかろうじて買い与えられたが、どこで探してくるのかいつもみんなと違うもので、すぐに破れたり壊れたりするような粗悪品だった。

同じことをしても、兄は叱られずに谷中さんは叱られ、兄は褒められても谷中さんは褒めてもらえない。家事の手伝いに関しては、兄はしなくても何も言われなかったが、谷中さんは強要された。谷中さんが料理をしたいと言ってもさせてもらえないが、どんなに疲れていても体調が悪くても、夕食を食べた後は食器を洗わされた。母親は家事のやり方にこだわりがあり、特に掃除は徹底的にやらされ、常にきれいにしておかないと怒鳴られた。

「『愛玩子、搾取子』という言葉を最近知りましたが、母にとっては兄が愛玩子、私が搾取子、妹はその中間ぐらいでした。妹は私よりはかわいげがあるため、扱いは私より少しはマシだったと思います」

そんな母親に比べれば、父親は暴君的な振る舞いがあったものの、子どもたちの扱いに関しては比較的平等だった。

「私が一番反抗的だったので、一番被害に遭っていましたが、どんなに暴言暴力を受けても、母よりはマシな人間だったと評価しています。父は褒めてチヤホヤしていると機嫌がいいため、兄と妹は父を怒らせないよう気を遣い、うまく立ち回っていました」