※本稿は、中野信子『新版 科学がつきとめた「運のいい人」』(サンマーク出版)の一部を再編集したものです。
「ちょっと違うな」と思われたらもったいない
他人をほめるといっても、やみくもにほめたのでは逆効果で、いくつか気をつけなければならないことがあります。
そのひとつは、正しくほめること。
人がほめられてうれしいのは、自分自身でもある程度納得できる点をほめられたときです。たとえば自分ではまったく自分のことを繊細な人間だと思っていない、むしろ大ざっぱすぎるところが欠点と思っているのに、「繊細な人ですね」とほめられてもピンときません。「ちょっと違うな」「当たってないな」などと感じます。
人はだれかにほめられると、脳の報酬系という部分が刺激され「気分がいいな」と感じるのですが、「ちょっと違うな」というところをほめられてもこうはならないのです。
ふたつ目は、表面的な軽いほめ方はしないこと。
たとえば私は東京大学を卒業していますが、それを知るとすぐに「頭がいいんですね」とほめてくれる人がいます。でも実は、そう言われても私はあまりうれしくはありません。むしろ、学歴だけで見られているのかな、きちんと私のことを見てくれているのかな、などと不安に思うのです。
より喜んでもらえるほめ方とは?
3つ目は、欠点には寛容になってほめること。
児童心理学の実験で、次のようなものがあります。
小学生が何人か集まったグループをふたつつくり、それぞれに「担任の先生」をつけます。ひとつをAグループ、もうひとつをBグループとしましょう。
ふたつのグループには、それぞれ勉強が得意な女の子と勉強が極端に苦手な男の子が含まれています。
Aグループの担任の先生は、勉強が得意なCちゃんを「なんてえらいのでしょう」「すごいね」などと言って思いきりほめます。しかし勉強が極端に苦手なD君には、「どうしてこんな簡単な問題ができないの?」「だめな子ね」などと言って叱ります。
一方、Bグループの担任の先生は、勉強が得意なEちゃんに対してはAグループの先生と同じように「なんてえらいのでしょう」「すごいね」などと言って思いきりほめますが、勉強が苦手なF君に対しても、「算数は苦手かもしれないけれど、虫のことをよく知っているね」「絵も上手だね」などとF君なりのよさを見つけてほめるのです。
この場合、CちゃんもEちゃんも同じようにほめられていますが、より喜びを感じているのはEちゃんのほうです。
Cちゃんは自分がほめられてうれしいと思う一方で、「もし勉強ができなくなったら、私も叱られてしまう。ほかの欠点が見つかったら、もっと叱られてしまう」とドキドキしています。
一方、Eちゃんは「もし勉強ができなくなったとしても、ほかの部分で認めてもらえる。欠点があったとしても、そこを強く責められることはない」と感じています。