高田裕司(ロンドン五輪日本代表選手団本部役員・日本レスリング協会専務理事)

たかだ・ゆうじ 
1954年、群馬県生まれ。日本体育大学卒。1973〜80年、全日本選手権フリースタイル52キロ級8連覇。85年、日本レスリング協会強化コーチ就任。90年に現役復帰し、全日本選手権で優勝。2001年、山梨学院大学レスリング部監督就任。2004年、日本人初の国際レスリング連盟殿堂入り。日本オリンピック委員会選手強化本部常任委員。山梨学院大学教授兼レスリング部監督。写真は1980年モスクワ五輪不参加決定時の会合にて。

不運のレスリング選手である。1970代、日本が世界に誇るレスリングの最強選手だった。世界選手権で4度優勝。76年モントリオール五輪では金メダルを獲得した。

だが実力がピークとなった80年モスクワ五輪では日本がボイコットし、五輪連覇は夢と消えた。峠を越えた84年ロサンゼルス五輪では銅メダルに終わった。「ボイコットがなければ」と何度思ったことか。

だから高田は「運命」を大事にする。

現役引退後、高校のレスリング部指導者となり、いったん現役復帰、また引退、後進の指導にあたる。現在は日本レスリング協会の専務理事として、レスリングの強化、普及に携わっている。ロンドン五輪では、五輪3連覇を目指した吉田沙保里、伊調馨らの代表選手をまとめ、メダルラッシュにつなげた。 

五輪代表選手には「おまえたちは運がある。人生にツイているんだ」と声をかける。とくに吉田や伊調にはこう檄を飛ばすそうだ。「もう2つの金メダルをいただいているんだ。世界チャンピオンで負けたやつはいない。だから、自信をもってやれ」と。

なぜ、女子レスリングは強いのか。「そりゃ、世界一の練習をやっているから。実績も世界一じゃないですか」と説明する。「やっぱり彼女たちが途中で負けるということはできないのです。最低でも決勝まではいく。それが当たり前の結果なんです」。

ただ最後はこっちの勝負、と56歳は自分の左胸を指差した。「いかに強い気持ちを持てるか。それが世界一になれるかどうかの分かれ目なんです」。勝負の厳しさを知り尽くした者の言葉だから、説得力がある。

(フォート・キシモト=撮影)
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