「お金がたくさんあって既婚」と「収入が低くて独身」では、前者のほうが幸福と決めつけていないだろうか。若手の気鋭僧侶が説く「古くて新しい」幸福論。
月読寺住職兼正現寺住職
小池龍之介

1978年、山口県生まれ。95年僧籍を取得。東京大学教養学部卒。著書は『考えない練習』(小学館)ほか多数。

今の世の中には「お金があることが幸せである」と思わせるような価値観が流通していて、私たちはそれを子供のときから何度も刷り込まれ、洗脳されるようにして育ちます。

貧困問題を解決しようという取り組みは尊いものですが、それさえ「貧困は悪」→「お金がないのは悪いこと」→「お金がないと幸せになれない」というメッセージを潜在的に発信しています。そういう情報を浴び続けるうちに、「お金がないのは不幸せ」という価値観が潜在意識にこびりついて、「お金が手に入れば幸せになれるに違いない」という幻想が形成されてくる。

「年収300万円の自分は不幸せに違いない」とか、「今の自分は失敗しているに違いない」と思っている人の多くは、生活実感というより、世の中の皆がそう思っているからそうに違いない、と洗脳されているのです。その思い込みが原因でいつもイライラしていたり、自分を低く評価して自信のない生き方をしていることのほうが、よほど不幸せです。

年収の高い人は幸せなのかといえば、そうともいえません。お金持ちほどお金のことが気になりがちで、「減らしたくない」とか「損をしたくない」と考えるものです。お金で自分の小さなプライドを支えたり、お金にものをいわせようとするので、思うようにならないとすぐにイライラして心が乱れやすい。

結局は、貧乏だろうとお金持ちだろうと、お金を幸せの価値尺度にしている限り、常に苦みを抱えていたり、イライラしやすい状態に置かれているわけで、心が満ち足りた平穏な幸せというものにはほど遠いのです。

「苦」が消えた状態を快楽と誤解している

私たちは何か欲しいものがあって、それが手に入らない状態にあるとき、「持っていなくて苦しい」と感じます。その苦しみを解消するために、苦労して手に入れようと努力する。

年収をアップしたいと思ったら、仕事を頑張ったり、勉強して資格を取ったり。結婚したいと思ったら婚活をしたり。

そして欲しかったものを手に入れた瞬間に、今までの苦しみがすっと消えて、「もう苦しくない。素晴らしい」と快楽が生じます。

(構成=小川 剛 撮影=向井 渉)
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