もし成功して高収入を得たとしても、それに浮かれて心が混乱したり、重い責任に対して不安になるなら、不幸なのです。成功したときほど、このような心の揺らぎにのみ込まれぬよう戒めること。心を鍛えて平静な気持ちで淡々と一生懸命に仕事に取り組む。そうすれば、成功している人はもっと成功できるでしょう。

一方、友達もいない、恋人もいない、ひとりぼっちでお金もないという人は、やはり何か心に問題があってそういう状況になっていると思われます。

「自分が本当にやりたい仕事じゃない」と過剰な自意識やプライドが邪魔をして目の前の仕事に一生懸命取り組めない。あるいは「どうせダメだから」と自分を蔑んで、チャレンジを放棄する。それでは新しいステップには進めません。それでいて、うまくいかないことにいつもイライラして、愚痴や自慢話ばかりしていたら人は寄ってこないものです。

そこはやはり心の舵を切り替えなければいけません。お金が欲しいとか、自分にピッタリの仕事が欲しいと思うのは、バーチャルな快楽を求める考えに洗脳されているだけと気づいて、自分の心の歪みを直してゆく。怒ったり、嘆いたりするのは自分が不幸だと刷り込むようなものです。自分を不幸にするようなことをやめて、心穏やかに生きるように心掛ける。すると人間関係が好転して、結果としてきっと良い巡り合いも生まれてくるでしょう。

自分の身体感覚に耳を傾けよう

月読寺住職兼正現寺住職
小池龍之介

1978年、山口県生まれ。95年僧籍を取得。東京大学教養学部卒。著書は『考えない練習』(小学館)ほか多数。

私自身、20代前半の頃は人並み以上にバーチャルな快楽を求め続けていました。精神的に不安定で周囲に迷惑をかけてばかり。妻に暴力をふるったり、親や友人との関係もギスギスしたものでした。

転換点はそれらの苦しみが臨界点に達したことでした。大いに打ちひしがれて、そこから瞑想に取り組んで心をきちんとしたいと思うようになったのです。

瞑想というのは自分の感覚に意識を集中することです。頭でいろいろ考えるのをやめて、自分の体が今何を感じているのか、体の中でどういう反応が起きているか、ということに意識を向けてゆく。

すると頭で何を考えていようと騙せなくなって、体の微妙な部分で苦痛を感じたり、逆に苦痛が取れて楽になったりすることがよくわかるようになります。身体感覚が研ぎ澄まされて、刺激がインプットされたときに体の中でどういう反応が起きているのかわかってくるのです。

たとえばイライラしたり、ドキドキしているときに自分の体を見つめ直すと、もやもやと有毒ガスのようなものが発生していることに気づきます。そこで「危ない、危ない」と気づけば、イライラやドキドキが解消できます。

こうして外部の刺激に振り回されなくなれば、淡々と穏やかに生きてゆける。今の私は頭で考えるよりも身体感覚を行動のガイドラインにしています。人間関係を決めたり、仕事を引き受けるかどうかを決めたり。どんなときも自分の体に尋ねて、リアルな苦痛が増すのか減って楽になるのかで判断するので、とても明晰な決断ができる。これは修行で得た最上の宝だと思っています。

四六時中、頭で考えてばかりいる現代人はどんどんバーチャルな快楽に呑み込まれて、自分の身体感覚がわからなくなっています。「そんな感情は苦しいからやめてくれ」という体の声が聞こえないから、心が暴走してしまうのです。

本格的な瞑想の修行をしなくても、自分の体に意識を向ける癖をつければ、体の内面からの声に気づくことができると思います。その声が「あ、こんなに苦しくなっている。やめておこう」と自分を導いてくれる。心穏やかな幸福感を得るには、自分の内面に耳を傾けるようにすることが大切です。

(構成=小川 剛 撮影=向井 渉)
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