これはもう捨てては置けないと、今の状況に心を痛め、療養中の体に鞭打って声を上げる。日本に笑顔を取り戻すために。

最愛の人を失った身の上相談ほど悲しい気持ちになることはないし、そんなとき、その人を救える力なんて我々は持っていません。ましてや「頑張れ」とも言えない。何もかも失った状況で、何を頑張ればいいのでしょうか? 一人ひとりが「頑張ろう」という気持ちを持つのはいいことでも、絶望的な心情の人に「頑張れ」の言葉をかけるのは負担になるだけです。

私たちにできることは、「大変ですね。辛いでしょう?」と相手の辛さを思いやり、悲しさや苦しさの言葉に耳を傾けることです。気持ちだけでも寄り添うと、相手は少し楽になりますから。

私は身の上相談をいっぱい受けてきましたが、大体の人は、答えを求めているわけではありませんでした。それでもなぜ相談してくるかといえば、話を聞いてもらいたいからです。

「亭主が浮気してしょうがない」という相談に「別れなさい」とアドバイスしても解決しませんが、「昔はいいときもあったんでしょ?」と水を向けると、「1日にラブレター4通もくれました」などとのろけて、満足して帰っていきます。

もちろん災害と浮気では次元が違います。しかし人間は一人で黙って悲しさや苦しさに耐えることが一番つらいのです。誰かお見舞いに来てくれたら、何か聞いてもらいたくなります。胸のうちにあるものを吐き出したほうが楽になるのです。

震災の被害を受けず、被災者の話を聞く境遇にもない人たちは、今、「自分に何ができるのだろう」と悩んでいるのではないでしょうか。でもその「何をしてあげられるか」と考えることが何より大事だと私は思います。

「思ったり祈ったりするだけで何の効果があるのか」と言う人もいます。正直な話、何もないかもしれません。祈って効くなら、お寺に来る人はみんな死なないはずですから。だけど自分のための祈りではなくて、「人の不幸が少しでも楽になりますように」という祈りに、神や仏は感応してくれると私は信じています。

そして念は固まったら通じるものです。みんなが戦争はいやだと思えば避けることができるし、みんなが原発はいやだという気持ちになれば防ぐことができる。決して祈りは無駄にはなりません。小さなことでも、みんながやれば大きな力になっていくのです。たくさんの念が一つになれば、応えが返ってくるのです。

だからそんなことが役に立つのかと思っても、できるだけ電気を消す。悲しみにくれている人を考えたらあまりウキウキしていられないと、欲しいものを買い控える。特別に何かをすることより、自分の生活をつつましくするだけでも何か変わってくるはずです。あまり自粛ばかりしていると景気が悪くなるという声もありますが、ここまで被災地の状況が悪化したら、日本の経済が今後どうなるかはその次に議論すればいいこと。今は自粛すべきときなのです。

しかし電気の問題は、私だって他人事ではありません。家の中は全部電化してあるので、電気が止まったら、きっと不自由で仕方がないでしょう。私たちは贅沢に慣れてしまったため、そうではない生活を辛く感じます。でも命に代えられないと思えば頑張れる。少し前の時代まではみんながやってきたことなんだから、ふんだんに電気を使わない生活ができないはずはないんです。こんな夜中に明々としている街は日本だけです。そのうち、夜の暗さにも慣れることでしょう。

地震や津波のような天災はあきらめるしかないところがありますが、原発は人災です。もともと原発は人間が造ったものです。禁止されている国もあるし、日本でも危険性に気づきながら運転しているのはおかしなこと。これを機にやめるべきなのでは、と強く思います。

(構成=鈴木 工 撮影=若杉憲司)