113キロで訪れた「限界」を知らせるサイン
69マイル(111キロ)を過ぎ、坂道に来た。住宅の私道ほどの、たった2メートルちょっとの坂道だ。ベテランのトレイルランナーなら笑ってすませるこの坂に、膝が崩れ、ギアをニュートラルに入れた軽トラみたいによろよろ後ずさりした。
ふらっとして転びそうになり、地面に指先をついた。このわずかな距離を進むのに10秒もかかった。1秒1秒がゴムひもみたいに伸びて、つま先から眼球の奥までの隅々にバチーンと痛みの衝撃波を送ってきた。激しく咳き込み、胃がひっくり返った。転倒するのも、もう時間の問題だ。転倒こそ、俺にふさわしい結末だ。
70マイル(113キロ)走ったところで、もう1歩も進めなくなった。ケイト(当時の妻)はスタート/フィニッシュラインに近い芝生にイスを置いていた。よろめきながら近づくと、3重に見えるケイトが6本の手を伸ばしてイスに座らせてくれた。カリウムと塩分が不足しているせいで、めまいと脱水症状に襲われた。
ケイトは看護師だ。俺も救急救命士の訓練を受けていたから、頭の中のチェックリストを点検した。血圧はたぶん、危険なまでに低そうだ。ケイトが靴を脱がしてくれた。足の爪がはがれマメがつぶれ、白い靴下が血にまみれていた。
血尿を必死に隠したワケ
ジョン・メッツ(レースの主催者)のところに行って、鎮痛剤やその他何でも役に立ちそうなものをもらってきてくれと、ケイトに頼んだ。ケイトがいなくなるとさらに具合が悪くなった。お腹がギュルギュル鳴り、血尿が足を伝い、下痢がイスを汚した。そしてサイアクなことに、それを隠す必要があった。ケイトに知られたら、頼むからもうレースをやめてと言われるからな。
トレーニングゼロで70マイル(113キロ)を12時間で走ったご褒美が、このザマかよ。脇の芝生にマイオプレックス(ペースト上の栄養食)が4パック残っていた。あんなドロドロのドリンクで水分補給しようなんて考えるのは、俺みたいな脳筋野郎だけだ。その横にはリッツクラッカー半箱。残りの半箱は、腹の中でオレンジ色のヘドロになってかき回されていた。
頭を抱えて20分ほど座っていただろうか。ランナーたちが何も言わずに足を引きずり、よろめきながら通り過ぎていき、性急で軽率な俺の夢をかなえる時間はどんどん減っていった。
ケイトが戻ってきて、俺が靴を履き直すのを、ひざまずいて手伝ってくれた。俺がズタズタに壊れていることを知らないケイトは、まだあきらめちゃいなかった。そのことに俺は励まされた。