11月9日、プロ野球ロッテは佐々木朗希投手(23)に対し、ポスティングシステムによるメジャー移籍を容認すると発表した。ライターの広尾晃さんは「メジャーで通用できると十分に証明しないまま、移籍する印象は否めない。だが、彼の野球人生を振り返ってみると、なぜ今挑戦するのかがよくわかる」という――。
本拠地最終戦セレモニーでファンに手を振るロッテの佐々木朗希=2024年10月3日、ZOZOマリンスタジアム
写真=共同通信社
本拠地最終戦セレモニーでファンに手を振るロッテの佐々木朗希=2024年10月3日、ZOZOマリンスタジアム

筆者が佐々木朗希と遭遇した意外な場所

2019年4月半ば、筆者は神奈川県川崎市の、あるスポーツドクターのクリニックにいた。当時「球数制限」の取材を続けていて「肘の側副じん帯再建手術=トミー・ジョン手術」の日本における第一人者であるドクターに、取材をしていたのだ。

診察室の前で待っていると、ドアが開いて見上げるような長身の高校野球選手が、指導者らしい男性と共に出てきた。彼が羽織ったウインドブレーカーには「大船渡」という刺繍があった。この年の春から、話題を呼んでいた大船渡高校のエース、佐々木朗希だった。付き添っていたのは大船渡の國保陽平監督。

ドクターは「書くなよ!」と筆者にくぎを刺した。

佐々木朗希は、この直前に行われた高校日本代表候補による研修合宿の紅白戦で、非公式ながら時速163キロの球速を記録し、にわかに注目される存在になっていた。

大谷翔平を生んだ岩手県から、またもや超高校級投手の誕生か、とメディアは沸き立った。

しかし國保監督は、佐々木朗希の圧倒的な「出力の大きさ」と身体の「未熟さ」のアンバランスを懸念して、日本を代表するスポーツドクターの元を回り、入念なメディカルチェックを受けていたのだ。

世界大会でもどこか手持ち無沙汰

専門家の見立てによると、「佐々木朗希の骨は、まだ骨端線が閉じ切っていない」とのことだった。

人の骨は、成長し続けているときには、先端部分に「骨端線」という骨の細胞が集まった柔らかい組織ができる。この部分が開いているときは、骨の成長が止まっておらず、骨は成長し続ける。「骨端線」が閉じると、これ以上骨は成長しなくなる。

一般的には「骨端線」は高校生で閉じるとされるが、佐々木の場合、まだ骨が成長し続けていたのだ。この状態で激しい運動を続けると、大きな故障をする恐れがある。そこで多くのドクターは「投げ過ぎないように」と國保監督、佐々木朗希にアドバイスしたのだ。

それもあって、國保監督は、2019年夏の岩手県大会の7月30日の花巻東との決勝戦では、佐々木をマウンドに上げなかった。大船渡は花巻東に負けて、甲子園出場を逃した。

國保監督は地元の非難にさらされ、退任を余儀なくされたが、後に「もう一度同じ状況になっても、同じ決断をするだろう」と語っている。

佐々木朗希は、甲子園には出場しなかったが、同年秋に韓国で行われたU-18野球ワールドカップの代表に選ばれ、奥川恭伸(のちヤクルト)、宮城大弥(同オリックス)、石川昂弥(同中日)、森敬斗(同DeNA)らと同じ侍ジャパンのユニフォームを着た。しかしここでも佐々木はわずか1試合の登板にとどまった。

筆者は現地で観戦したが、ひときわ長身の佐々木は、ベンチでも手持無沙汰な印象だった。