良い母、良い妻である才能を摘み取ってきた

現代の人が心を病む大きな理由のひとつに、孤独の問題があります。「孤独死」「無縁社会」などという言葉が、一種の流行語にもなっています。

もちろん、家族と仲良く暮らせれば、それが1番いいことだと思います。一緒にテレビを見たり、みんなでお鍋をつついたり……。しかし、お釈迦さまはこうおっしゃるのです。

「貪りと怒りと愚かさを捨て、もろもろのしがらみを断ち、命が尽きるのを恐れず、犀(さい)の角(つの)のように、ただ独り歩め」(スッタニパータ=経集)

人間は、ひとりで生まれてきて、ひとりで死んでいく。これが人間の運命だとお釈迦さまはおっしゃいます。

人間は孤独な存在だからこそ、寂しい。孤独だから、話し合える友だちがほしい。孤独だから、一緒に暮らす家族がほしい。肌が寂しいから、誰かと一緒に寝たい。

でも、どんなに体を温め合ったところで、孤独であることに変わりはありません。だから、恋人に裏切られたって、キーキー泣きわめく必要はないのです。家族と離別することになったら、「いままで、たまたま道連れでいてくれたんだ。ありがとう」と思えばいい。

この世は変化するものだと思っていれば、どんな事態に直面しても度胸が据わると言いました。孤独の問題も同じです。最初から人間は孤独だと思っていれば、たとえひとりぼっちになったとしても、うろたえることはありません。

私は、孤独が好きです。できることなら誰にも知られず、ひっそりと死んでいきたい。どこかをひとりで旅していて、野原かなにかを歩いているとき、命尽きてバタリと倒れる。獣に食べられて、そこにすすきが被さって……。

こんな死に方が、私の理想です。もっとも現代では、誰かが失踪したとなればヘリコプターを動員してでも捜索するのでしょうから、ひとりでひっそりと死ぬのは、むしろ難しいことかもしれません。