関東生まれ関東育ちの既婚女性(当時50代)は、夫の定年後に、夫の実家がある東北の田舎へ義両親と同居するために引っ越した。認知症の始まった義父と、尿意を感じなくなった義母を世話して約3年後、夫が腰に激痛を訴え始め、歩くこともままならないほどに。自身も若い頃からメニエール病を患い、高齢の義父・義母に加え、夫の世話まで背負い込んだ女性を待ち受けていた地獄とは――。
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写真=iStock.com/HadelProductions
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【前編のあらすじ】
関東の都市部に生まれ育った知多清美さん(仮名・60代・既婚)の夫は、東北出身。若い頃から言っていた「定年退職したら田舎に戻る」を有言実行し、夫婦で引っ越す。だが、認知症の義父は90歳近くでも車の運転をやめず、尿意を感じなくなった義母は尿を垂れ流す。女性は持病のメニエール病に悩まされながらも、義両親の世話に奮闘。そんな時、夫の腰痛が悪化し、歩くのもままならないほどに。さまざまな検査を受けると……。

夫の腰椎は砕けて空洞状態「多発性骨髄腫」という血液がんだった

2016年、認知症の始まった義父(93歳)は家の中で転倒し、右大腿骨頚部骨折をして以来、体調が悪化し、介護老人保健施設に入ることになった。翌年1月、施設内でインフルエンザが大流行。義父も感染し、その後、肺炎に。何日も熱が下がらず、一時は生死の境をさまよったが、2週間ほどで熱は下がる。しかし食べ物も飲み物も、口からは受け付けなくなっていた。

2月に入るとようやく義父は口からの食事を再開。1日3食食べられるまでに回復し、知多さんたちは義父の生命力に驚かされた。

一方、夫の腰は深刻だった。さまざまな検査の結果を踏まえ、整形外科の医師から、圧迫骨折、脊柱管狭窄症、骨粗鬆症と診断されるが、「悪い病気の可能性がある」ことから、さらに詳しく検査をしていくことに。

夫の腰椎の一部はバラバラに砕け、空洞状態になっていた。

「夫は学生時代からずっとスポーツをしていて、がっしり体型で体力だけには自信があった人。畑仕事をするようになってから徐々に体重が減ってきていましたが、そんな人の骨とはとても思えませんでした」

血液検査、大腸の内視鏡検査などを経て、夫は総合病院に転院。

主治医となった医師は、知多さん夫婦に「多発性骨髄腫」と告げた。「多発性骨髄腫」とは、病気が進行すると骨の破壊による痛みや骨折、腎障害、また造血が妨げられることによる貧血、感染症など、さまざまな症状や臓器障害が現れるようになる“血液のがん”だった。

ベッドでのたうつ夫「殺される」「夫は気が狂ってしまう?」

知多さんの夫は、毎年健康診断を受け、がん検診も受診していたという。

一般的な鎮痛薬は効かないため、医療用麻薬が処方された。

2017年2月。夫は病気の進行と腰の痛みを抑えるために入院。偶然にもこの日は夫の67歳の誕生日だった。

入院してからも夫は、激痛のために一日中ベッドの上でのたうちまわっていた。そんな夫の姿を前に、知多さんは背中をさすることしかできない。気がつくと面会時間をとうに過ぎていたが、それでもさすり続けた。

薬や点滴が効かず、夫は「このままだと殺される」「他の病院に変わろう」などと口にし、知多さんも、「痛みのせいで夫は気が狂ってしまうのではないか?」という不安に駆られた。

そして約半月後、背中に直接薬を注入する治療を開始。すると、30分もしないうちに、夫は苦痛に歪んだ表情から、痛みから解放された穏やかな表情に変わっていく。知多さんはほっと胸をなでおろした。