中学時代から祖母を母親とともに介護してきた20代男性。大学生になった時、海外の大学に留学する計画を立てたが、コロナの流行で頓挫。自宅でオンライン授業を受けながら、要介護4で90歳超の祖母の世話をする。だが、どんなに尽くしても、祖母から感謝の言葉はない。世間では「家族の介護は当たり前」「介護される側に立った介護を」と言う人がいるが、男性は心の中で「早く死んでくれ」と叫んでいた――。(後編/全2回)
【前編のあらすじ】
関西在住の大学生、湖西信治郎さん(仮名・現在大学4年)の両親は、幼い頃に離婚。10代の頃に高齢の祖母と同居し、やがて認知症を発症した祖母を、母親とともに在宅介護してきた。母親はフルタイムで働く保育士だ。男子大学生は、母親が帰宅するまでに、デイサービスから帰ってくる祖母を迎え、夕食の支度をし、祖母に食べさせる。しかし認知症のせいなのか、もともとの性格なのか、祖母は娘や孫の言うことを素直に聞かないばかりか、時には暴言を吐いて暴れることも。男子大学生は、介護の悩みや愚痴を相談する相手もなく、ひたすら耐えていたが、あるとき、祖母が大腿骨を骨折して歩行困難になる――。

大腿骨骨折から本格介護へ

2016年ごろに祖母(当時87歳)は認知症と診断され、要介護1と認定された。週3回のデイサービスに加え、ショートステイを月2回ほど利用するようになっていた。

自ずと

その頃の祖母は、椅子に座ったままうとうとと居眠りをするようになっていたため、孫の湖西信治郎さん(仮名・当時高校生、現在大学4年)も、湖西さんの母親(50代)も、「椅子から落ちると危ないからベッドで寝て」と何度も注意していた。しかしその度に祖母は、「あんたなんかに指図されたくないわ!」と拒絶。

「さすがにカッとなって口喧嘩になることは時々ありましたが、私が手を上げたことは一度もありません。ただ、それまで祖母を介護してきて、祖母から感謝の言葉をかけられたことも、一度もありませんでした」

2018年11月。心配していたことが現実となった。89歳となった祖母がいつものようにうとうとしていたところ、バランスを崩して椅子から落ち、床に転がったまま痛みを訴え、起き上がれなくなったのだ。母親と湖西さんは救急車を呼び、病院へ。

祖母は大腿骨を骨折しており、入院することに。

レントゲン
写真=iStock.com/praisaeng
※写真はイメージです

2019年3月。祖母はリハビリ病院を経て、退院した。骨折前は杖をつけば自立歩行ができていたが、退院した祖母は、誰かの介助なしでは歩行できなくなっていた。医師から、「杖を使っての歩行は、転倒のリスクが高いため危険です。歩行器を使ってください」と指導を受ける。