母親の腕にはくっきりと歯型がつき、血が滲んでいた

「母娘」と「祖母と孫」、立場や関係性の違いもあるのかもしれない。だが、毎日のように母親と祖母が怒鳴り合うため、湖西さんは大学のオンライン授業や課題に集中できず、ほとほとまいっていた。

介護保険証
写真=iStock.com/Yusuke Ide
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「介護そのものよりも、祖母と母の怒鳴り声を毎日聞かされているだけで病みそうでした。祖母とケンカすることでたまったストレスが私の方に向いて、今度は母と私とのケンカになるのです。母は祖母や私とケンカして怒鳴ることで、ストレスを発散しているような気がしました」

1度だけ、ヒートアップした母親が祖母に手を上げ、けがをさせてしまったことがある。湖西さんが仲裁に入ったから良かったが、誰もいなかったらと思うと恐ろしい。

とはいえ、91歳の祖母は、50代の娘に負けていない。湖西さんがアルバイトから帰宅すると、部屋の奥から「ギャー!」という母親の叫び声がする。びっくりして駆け寄ると、祖母と母親がいつものようにケンカをした末に、逆上した祖母が母親の腕に思い切りかみ付いたらしい。母親の腕には、くっきりと歯型がつき、血がにじんでいた。

湖西さんは2人をなだめつつ、母親の腕の手当をし、祖母のオムツ交換を済ませ、寝かしつける。その後も湖西さんは、母親と祖母の怒鳴り声が聞こえてくると、大学の課題の手を止め、SNSに向かった。どこにも吐き出せないストレスや愚痴をSNSに吐き出すと、心が軽くなり、救われる思いがした。

一筋の光

2021年5月。祖母が要介護4になってから、複数申し込みをしているうちの1つの特養から電話が入る。「6月か7月には空きが出るため、入所できるかもしれません」とのこと。

湖西さんは暗闇に一筋の光を見た気がした。しかし、ぬか喜びに終わるのが怖くて、本決まりになるまでは気を抜かないよう努める。

すると1週間ほど後に、本決定の連絡が来た。

それを聞いた湖西さんは、「SNSで同じように介護を頑張っている人たちに、自分だけ楽になる気がして申し訳ない」気持ちになった。

特養入所までは1週間ほど。その間に、契約書への記入のほか、看取りや急変時の延命措置、終末期の措置などについての同意書や宣言書に記入しなければならない。

「延命措置や終末期の介護に関して、私が、『人間らしく、なるべく苦しまないでほしい』と母に伝えたところ、母もそれに同意してくれましたが、いざそれを書類という目に見える形で意思表示をするとなると、ペンが重くなりました。母も同じ考えだったのは正直意外でしたが、家族として意見がまとまったのは良かったと思います」

このあと、湖西さんは少し「自分の人生の終わり方」「どういうふうに死にたいか」ということについて考えた。もちろん、答えは簡単には出ないが、「20代でこういう機会に恵まれる人は少ないだろうな」と思った。

特養に入ることを祖母に伝えたところ、祖母は「分かったけど分からん」と答え、特養に入所する前日の夕ごはんは、祖母の好物の鰻丼にしたところ、ぺろっと平らげた。

そして5月末。母親と2人で祖母をタクシーに乗せ、特養に送った。

10年と少し利用したデイサービスの職員たちにはこれまでの感謝を伝え、これから入所する特養の相談員や栄養士、看護師や理学療法士に挨拶して、約10年にわたる在宅介護を終えた。

湖西さんと母親は、この日初めて「お疲れ様でした」と、お互いを労い合った。