関西地方に住む50代男性は暴力父と暴言母に育てられたが、社会人になってからは実親と距離を置いた。ところが結婚後、よかれと思い義父母と交流を始めた妻の体調に次々と異変が起こり、娘のメンタルも不調に。その頃、高齢の義父母は認知機能が著しく低下していた――。(前編/全2回)
年配女性
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この連載では、「シングル介護」の事例を紹介していく。「シングル介護」とは、主に未婚者や、配偶者と離婚や死別した人などが、兄弟姉妹がいるいないにかかわらず、介護を1人で担っているケースを指す。その当事者をめぐる状況は過酷だ。「一線を越えそうになる」という声もたびたび耳にしてきた。なぜそんな危機的状況が生まれるのか。私の取材事例を通じて、社会に警鐘を鳴らしていきたい。

毒親の両親

関西在住の深戸雅人さん(50代・既婚)は、10歳くらいの頃、「自分の両親は毒親だ」と気付いた。当時、毒親という言葉はなかったが、どこかおかしいと直感していた。

現在88歳で、ボイラー技士をしていた父親は、外面は良いが短気だ。家ではすぐにカッとなり、何か気に入らないことがあると突然殴ったり蹴ったりという暴力行為を日常的に繰り返していた。

父親より1つ歳下の母親も問題があった。「絶対に自分は間違っていない。私の言うことを聞いていればいい」という考え方の人で、深戸さんは幼い頃から、「デキが悪い! ダメなやつ!」と常に否定され、罵倒されて育ったそうだ。

両親の仲は良くなく、母親は父親の女性問題にいつも悩まされ、家の中は常にギスギスしていた。

深戸さんは工業高校を卒業し、製造業の会社に就職。入社3カ月で22時過ぎまで残業となることが続いたため、会社が近くにアパートを借りてくれたことにより、深戸さんはすんなり家を出ることに成功。一人暮らしを始め、極力、実家には近寄らないようにした。

就職してから約7年後、深戸さんは、高校の頃から付き合ってきた彼女から結婚の話を持ちかけられるが、「俺の母親の相手は誰にもできないから、結婚なんてやめておいたほうがいい」と断ろうとしたところ、「大丈夫! 頑張るから!」と言って譲らないため、腹を決める。

その後、双方の両親との顔合わせから結婚式まで、予想していたような大きなトラブルもなく済んだものの、裏では両親から重箱の隅をつつくがごとくあれこれ難癖をつけられ、“幸せいっぱいの結婚式”というイメージとはほど遠い結婚式となった。