東日本大震災の被災地で、性風俗で働く女性たちの声を聞き続けたフリーライターがいる。ときには「地元の人たちの気持ちを逆撫でする行為かもしれない」と後ろめたさを感じながらも、なぜ10年間も被災地に通い続けたのか。取材の記録を『震災風俗嬢』(集英社文庫)としてまとめた小野一光氏に聞いた——。(前編/全2回)

10年前もいまも、東京の風俗関係者が被災地に流れ込んでいた

——小野さんは被災地の性風俗で働く女性たちを継続的に取材されていますが、コロナ禍の今年はどんな変化がありましたか?

フリーライターの小野一光氏
フリーライターの小野一光氏

2月下旬、被災地を久しぶりに回ってきました。まず福島県郡山市に入り、宮城県の石巻市、気仙沼市、岩手県の陸前高田市、釜石市と沿岸部を北上し、その後内陸部の北上市までクルマで走りました。

被災地の風俗店も新型コロナの影響をもろに受けています。コロナのせいで東京の風俗店が流行らない。仕事がない女性たちが東北の風俗店で働いていました。ただ、経営者もクラスターの発生を警戒し、入店を断っている店もありました。

実は、震災直後も、復興作業にたずさわる人たちや、被災者が受け取る義援金や賠償金などを当て込んで、東京の風俗店が東北に次々と進出していたんです。形は違いますが、10年前も、いまも、東京の風俗関係者が被災地に流れ込んでいるんです。

——「被災地の風俗嬢」の取材を始めたのは、どういった経緯だったのでしょうか。

私が被災地に入ったのは、震災翌日の3月12日です。当初は被害の実態を伝えるストレートニュースを手がけていました。そんな状況が1カ月ほどで一段落した。その時期に、沿岸部の女性が内陸部の風俗店に働きに出ているという話を聞いたんです。家と父親の仕事場を流され、幼い弟と妹のために19歳の女性が「風俗嬢」になった、と。

私は「戦場から風俗まで」をテーマに、20年以上、風俗嬢のインタビューを続けてきました。でも正直に言えば、被害があまりに大きすぎて、震災の影響で性風俗で働かざるをえなくなる女性が出てくるなんて想像が追いつかなかった。

そこで調べてみると、石巻の風俗店が震災の1週間後から営業を再開していた。いま話を聞かないと彼女たちの記録はきっと残せない。長年、風俗嬢のインタビューを重ねてきた自分が取材しなければ、と思ったんです。