大学で、数学“零点”を取った評者のトラウマを払拭してくれる
数学、と聞くと顔を曇らせる人は少なくない。文系一直線で会社を切り盛りしてきた部長が、夜半に数学の入門書をこっそり読むのは、企画会議についていけなくなったからだ。そうした「数学苦手人」にうってつけの好著が出た。
本書は東大理学部を出て数学塾を経営する著者が、生徒指導のノウハウをふんだんにちりばめた科学エッセイ。「とてつもない」という切り口から数学の魅力を存分に語る。
内容は中学数学の初歩から未解決の超難問まで、選ぶ話題は縦横無尽だ。特に、古代ギリシア以来の数学史を追いながら、何がポイントだったかを的確に説明する(2章)。ピタゴラス、フェルマー、ニュートン、ガウスなど、聞いたことのある名前もたくさん登場する。古来、天才数学者には奇想天外のエピソードがつきもので、それを知るだけでも数学アレルギーはどんどん消えてゆく。
物理学を切り拓いたガリレイが「宇宙は数学という言語で書かれている」と言ったように、数学はたった1行の数式で自然界の法則を記述する力を持つ。これを知ってその偉大さにハマる人と、だからこそ敬遠する人に分かれてしまう。数学を食わず嫌いしてきた後者に「アハ体験」をしてもらうのが本書なのだ。
そもそも数学は芸術性(3章)をふんだんに含み、とてつもなく便利で(4章)、大きな影響力を持つ(5章)。たとえば、世界的な絵画や彫刻の背景には、数学理論に則った法則が潜んでいる。「これからは、数学と無関係なものは何もない、と言えるところまで拡大していく(中略)それだけ数学という学問は間口が広いのだ」(本書354~355ページ)。
すなわち、現代テクノロジーの基盤をつくるとてつもない知性の集合体が数学なのである。こうした本質を素人へ見事にアウトリーチ(啓発・教育活動)する力量を見ると、著者の数学塾がいつも予約キャンセル待ちというのも頷ける。
もう1つ、本書が読みやすいのは、図版のイラストが初心者にもきわめてわかりやすく描かれているからだ。今や数学は単なる計算技術の問題ではなく、「数学の持つ合理性と美しさはどこにでも発見することができたし、数学が教えてくれるものの考え方が人生を生きる上での指針になる」(356ページ)と著者は喝破する。何を隠そう、評者は大学時代に数学で零点を取ったせいで専門課程への進学が1年遅れた。それ以来の数学トラウマを払拭してくれる効用が、確かに本書にはある。
実は、数学は「闇を照らす光なのであって、白昼にはいらないのですが、こういう世相には大いに必要」(9ページ)なのだ。AI(人工知能)が席巻するアフターコロナ時代を生き抜くためにも、本書をきっかけに数学の面白さに開眼していただきたい。