東芝深谷工場で液晶ディスプレイの製造ライン立ち上げプロジェクトに従事していた重光由美さん(当時35歳)の職場では、01年7月のある日、急に全員が招集された。
「O君が今、行方不明になっている。連絡があったら『何も心配しなくていいから、とにかく出てきて』と伝えてほしい」
Oさんは重光さんの斜め向かいに席があった同僚である。そんなアナウンスがあった数日後、Oさんは遺体で発見された。自殺だった。
それから5カ月後の同年12月には、やはりプロジェクトに従事していたKさんが自殺。
「Kさんは律儀だから、ほとんどの会議に出ていたんですよ……」
そう故人を思い返す重光さん自身、同年9月にうつ病で休職を開始した。一時的に復職したものの再度休職し、現在に至るまで療養を続けている。
東芝は重光さんに04年9月、休職期間満了を理由に解雇を通知した。これに対し、重光さんは東芝を相手取って「うつ病は業務に起因する」として解雇撤回を求め裁判所に提訴した。また、労働基準監督署に労災申請したものの認められなかったため、07年7月に労災不支給取り消しを求め行政訴訟を起こしている。
技術職として重光さんが東芝に入社したのは90年。取材でお会いしたとき資料を示しながらロジカルに説明する重光さんの応対は、まさに技術者の物腰と感じられた。
深谷工場では00年11月頃から「M2ライン立ち上げプロジェクト」と呼ばれる液晶製造ラインの構築プロジェクトがスタートした。これは東芝が世界に先駆けて開発に成功したポリシリコン液晶ディスプレイの生産ラインを立ち上げるもので、従来の製品に比べ性能が高い半面、製造が難しくコストダウンも困難だった。