裁判の判決文によれば、M2ライン立ち上げプロジェクトは「人を集中させて」「短期で成功する」垂直立ち上げを目指し、立ち上げ期間を6カ月にする計画が立てられた。M2ラインプロジェクトに先だち98年に実施された「M1ライン立ち上げプロジェクト」では1年1カ月が立ち上げ期間として計画されており、これに比べると大幅な期間短縮であることがわかる。
しかも生産規模は拡大し、サイズも一回り大きくなって技術的な困難さも増していた。加えて計画がスタートする前段階で、さらに期日を早める方針が告げられた。
しかし、これは「無茶苦茶なスケジュールだった」と重光さんは言う。実際、M2プロジェクトがスタートすると各工程でトラブルが多発し、対策に追われることになった。
M2プロジェクトにおいて重光さんは自身を含め3名が担当する、ある工程のリーダーを務めていた。当時の生活は8時から9時の間に出社し、帰宅は23時を過ぎることが当たり前になり、午前0時を超えることも増えた。
もともとM2プロジェクトでは週末も出勤を予定したスケジュールが組まれていたが、計画が遅れ出すと輪をかけて休日出勤が増え、プロジェクトが始まった00年12月から翌年4月にかけての所定時間外労働時間は、客観的な証拠が残っているだけでも平均して月90時間34分にも上る。
このような状況になって、職場では軋轢が増えた。たとえば、上司から2日前にメールで報告を求められたデータを会議で提出しなかったところ、重光さんは激しく叱責された。
「何が何でもデータを出せ。今日中に詳細なスケジュールを書いて出せ」
だが、提出期限が定められていたわけではなく、重光さんは他の業務に追われてもいた。それでも「相手が全く聞く耳を持たない状態」で押し問答の末、重光さんはその日の午前一時までかけてデータ取りを行い、スケジュールを記載した書面を作成した。