残業続きで慢性的な頭痛を抱えながら、いつものように職場でパソコンに向かい仕事をしている最中、中原将太さん(当時24歳)は下腹部の感覚に愕然とした。自分でも気づかないうちに尿漏れしていたのである。

「あれ、どうしよう……」

恥ずかしさや困惑、焦り、恐怖の入り交じった感情が一気に押し寄せた。周囲の人には気づかれていなかった。中原さんはそっとトイレに立ち、ズボンと下着の汚れを拭き取った。2004年3月15日のことである。

1979年生まれの中原さんは02年にITの専門学校を卒業し、富士通四国システムズ(当時は富士通徳島システムエンジニアリング)に入社した。入社後半年から残業や休日出勤が常態化し、頭痛や不眠、手が汗でびしょびしょになるといった症状に悩まされていた。呼吸が乱れ、気がつくと息を吸ったまま、あるいは吐いたままになっていることもあった。

失禁の翌日、医師を受診したところ、中原さんはうつ状態と診断された。

「当分の間、改善の見込みはなく十分な休養と加療を要する」

それが医師の診断だった。ところが、会社はすぐに休ませてはくれなかったという。結局、最終出勤日となったのは4月2日で、診断から半月が経過していた。その日の様子を中原さんは裁判で次のように主張している。

「最後の日、私はうつがひどくなって、始業時間を過ぎても出勤できず、自宅にいました。しばらくすると上司から電話があって、こう言われました。『おまえは今日が最後の日だろう。最後ぐらいちゃんと来い。すぐに来い。仕事を最後まで終わらせろ』」

以後、現在に至るまで中原さんは復職できるほどには症状が改善せず、自宅療養を続けている。一方で中原さんは労働基準監督署に労災申請を行うとともに、うつ病を患ったことに対する慰謝料を求め富士通四国システムズを提訴した。自身のうつ病は長期間にわたる長時間労働と上司のパワーハラスメントが原因であり、しかも残業時間の多くがサービス残業だったと訴えたのである。