『万葉集』が教える酒宴文化の大切さ
新しい元号が、「令和」に決まった。
出典となったのは、『万葉集』のうち、巻五、「梅花の歌三十二首」の序であり、「初春の令月にして、気淑(よ)く風和(やわら)ぎ」の一節からとられた。
この元号の制定で、改めて『万葉集』に注目が集まったのはいいことだろう。
『万葉集』は、無名の農民、防人から、貴族、天皇まで、さまざまな人たちがよんだ歌を集めたもの。当時の社会のいろいろな立場の人が歌を寄せているという意味で、今のインターネットに似ている。
現代で言えばネット上の掲示板や、ウィキペディアのような人々の「集合知」の結晶が『万葉集』だとすると、新しい元号の出典としては現代的でもあり、より意義深いと感じられる。
「令和」でもうひとつ注目したいのは、その元となった「梅花の宴」である。
大宰府の長官だった大伴旅人の邸宅で行われた宴において、梅を題材にしてよまれた歌32首。その様子を記述したのが「令和」の出典となった「序」であるが、想像すると当時の雰囲気がよみがえってくる。
大伴旅人は、お酒を愛した人だという。おそらくは、友人知人が集まって、梅を眺めながら酒宴を楽しんだのだろう。ふらふらと歩き回りながら、談笑したのかもしれない。
梅の花が咲くころは、まだ空気がひんやりと冷たい。その中で、梅のよい香りがしてきて、ちょっと酔うような心持ちもあり、気の置けない友人たちとの語らいに、大いに詩心を刺激されたに違いない。
そんなひとときの記憶が、1300年近くの時を経て、新しい「元号」の名称としてよみがえる。文化の伝統は力強く、不思議である。
注目したいのは、「梅花の宴」のような文化を生み出すのに、それほどのお金も手間も要らないということ。
現代の私たちも、梅を眺める宴こそしないけれども、桜を見ての酒宴はしばしば行う。公園に行き、花の下に座ってお酒やおつまみを楽しむ。お金も手間もさほどかからない手軽な「文化」である。
「文化」と言うとどうしても身構えてしまうが、実際にはそれほど大した準備は要らない。むしろ必要なのは「教養」である。大伴旅人の「梅花の宴」も、集った人たちに教養があったからこそ、単なる「飲み会」にならずに、時を経て記憶される大切なひとときになったのである。
今、新しいサービスの開発や、地方創生などの分野で、「文化力」が求められることが多い。そのようなときに、私たちはついお金が必要だ、手間が大変だと考えてしまいがちだが、ほんとうにそうだろうか?
セッティングさえ工夫すれば、極端なことを言えば1人に1本の缶ビールがあればいい。ふらふらと歩き回って、談笑し、そこで知的な何かが生み出されれば、それは立派な文化となる。
『万葉集』が編集された奈良時代から時を経て、「茶道」を大成した千利休もまた、工夫の人だった。利休が関わった茶道具は今ではたいへん高価だが、もともとの材料は土や竹や紙などにすぎなかった。鋭い感覚とちょっとした工夫が、後の世につながる大きな付加価値を生んだ。
お金や手間が必要だとばかり言っていないで、「文化」の本質を見つめるべきだ。新元号「令和」が、教養を磨き、工夫を重ねることの大切さを教えてくれる。