「佳子の乱」の矛先が母親の紀子さんだった理由
週刊誌を通して漏れ伝え聞く内情が事実なら、秋篠宮家は家庭崩壊の危機にあるようだ。
長女・眞子さんと小室圭さんとの婚約が延期になり、眞子さんと両親との間がぎくしゃくし始めたことが、きっかけの一つになったことは間違いないだろう。
昨年秋の秋篠宮の誕生会見で、小室家側の金銭トラブルや将来の生活設計をハッキリさせないうちは、「納采の儀は行えない」という発言で、長女はよりかたくなに心を閉ざしてしまった。
次女の佳子さんが、大学を卒業するにあたって、記者団の質問に答えたが、そこには、姉の一途な思いを成就させてあげたいと、はっきり書かれていた。
メディアはこれを「佳子の乱」と呼び、この結婚に前向きではない両親に対する抗議文だと報じた。特にその矛先は、母親の紀子さんへ向けられたと見る向きが多かったようだ。
「紀子さんという女性は、かなりの野心家ではないか」
皇嗣(皇位継承順位第1位の皇族)になるためのさまざまな儀式を控える父親の秋篠宮は、そうした娘たちの“叛乱”に、さらに疲労の度を増したように見える。
だが、才色兼備、いつもたおやかでほほ笑みを欠かさない母親の紀子さんは、そのような噂に心を動かされることはないようで、いつもと同じように毅然と振る舞っている。
彼女と秋篠宮との結婚が決まるあたりのことを少し知っている私は、紀子さんという女性は芯のしっかりした人だと思う。それに、かなりの野心家ではないかとも思っている。
彼女は、父親がペンシルベニア大学大学院に留学したため、6歳までアメリカで過ごしている。
その後、父親が学習院大学助教授に就任したため、帰国するが、再び、父親がウイーンの研究所に主任研究員として招かれたため、オーストリアに渡る。紀子さんが11歳の時である。そこでは英語はもちろんのこと、ドイツ語もマスターしたという。
2年後に帰国し、学習院女子中等科に編入、学習院女子高等科から、学習院大学文学部心理学科に入学して、1年先輩の秋篠宮と出会うことになる。学内の書店で出会い、サークル活動を通して親交を深め、出会いからそれほどたたない頃に、秋篠宮から求婚されたという。