「3LDKのプリンセス」といわれて祝福を受けた

この時は、即答しなかったといわれるが、私が、彼女の友人で、やはり帰国子女の女性の話を、彼女の父親経由で聞いているのとは違っている。

これは私の推測でしかないが、外国生活が長いと、日本の皇室は、われわれとは少し違って見えるのではないだろうか。日本で暮らしていれば、皇室はわれわれとは違う世界の人だが、憧れる対象ではない(中には違う人もいるだろうが)。

だが、外国から見る皇室は、英国王室のように輝いて見えるのかもしれない。先の友人の話では、かなり早くから紀子さんは、秋篠宮を結婚相手のターゲットとして見ていたという。

女性の憧れる「玉の輿(こし)」という程度のものだろうとは思うが、そんなことを紀子さんが打ち明けたことがあったそうだ。そして、秋篠宮に求婚されたときのことだろう。紀子さんから電話がかかって来て、「やった!」といわんばかりに喜んでいたと、聞いた。

それからは順調に交際を重ね、昭和天皇の喪が明けた1990年(平成2年)1月12日に「納采の儀」が執り行われ、同年6月29日に結婚の儀が行われた。June brideである。また、父親たちと住んでいるのが大学教員用の共同住宅だったので、「3LDKのプリンセス」ともいわれ、多くの国民から祝福を受けたのである。

「タイの女性と浮気をしていて、隠し子までいる」という噂

美智子皇后を母のように慕い、言葉遣いから振る舞い方まで、手本として見習ったという。優しそうな秋篠宮との結婚は順調で、2人のかわいい娘も生まれた。幸せを絵に描いたような夫婦生活に見えたが、どこの家も同じように、ときには波風も立つ。

いつ頃からだったろう。秋篠宮はナマズの研究で名高いが、その研究のためにタイへたびたび行っていた。そのうち、秋篠宮がタイの女性と浮気をしていて、隠し子までいるという噂がメディアの間に広がったのである。私も、週刊誌にいたので、この噂の真偽を取材した。

1996年に、クリントン大統領が訪日して、宮中晩餐会が開かれたことがあった。その会を秋篠宮が欠席して、タイへ行っていたということが分かったのである。すわ、タイで密会かと週刊誌は書きたて、現地まで記者を飛ばしたところもあった。

同じ頃だったと記憶しているのだが、その件かどうかは分からないが、秋篠宮と紀子さんが激しい夫婦喧嘩をして、紀子さんが家を出たという噂が流れたことがあった。

私は、会社が近いこともあって、父親の川嶋辰彦教授が住んでいる学習院の中にある共同住宅を訪ねた。怒鳴られるかと思ったが、出てきた川嶋教授は温厚な人で、たしか部屋に上げてもらったと思うが、こちらの失礼な質問にも嫌な顔をせず、答えてくれた。