「しばらくたって、秋篠宮から封書が届いた」

概要は、「若い二人だから時々はぶつかることもあるでしょう」「浮気の話は知らないな」という程度だったが、なんだか温かい気持ちで、そこを辞した。

しつこいのは週刊誌屋の常だ。軽井沢に秋篠宮が静養に来ているというので、ホテルまで押しかけた。会えなかったので手紙をフロントに渡し、宮様に届けてくれるよう頼んだ。

まったく期待はしていなかったが、しばらくたって、秋篠宮から封書が届いた。

驚いてあけてみると、自筆だったと思うが、ていねいに、取材に来ても会えなかったこと、タイの女性と噂になっているのは聞いているが、まったくそんなことはないという内容だったが、感激したものだった。

時々さざ波ぐらいは立ったと思うが、かわいい娘2人と、優しい夫に囲まれ、おおむね幸福な家庭だと思われていた。そんな空気が変わったのは、1993年に皇太子が皇太子妃として雅子さんを迎えてからではなかったか。

悠仁親王を出産してから、風当たりが強くなってきた

周知のように、雅子妃にはなかなか子宝が授からなかった。2001年に愛子さんが生まれるが、現在の制度では、女性は天皇になれない。2003年には宮内庁長官の「皇室の繁栄を考えると、(秋篠宮ご夫妻に)第三子を強く希望する」という心無い発言が飛び出す。

そして2006年9月6日に、紀子さんは悠仁親王を出産するのである。男の子の誕生は、秋篠宮以来41年ぶりだった。わが子が天皇になる日が来る。秋篠宮の妻として迎えられ、満ち足りてはいただろうが、天皇の母になるというのは、彼女にとって何ものにも代えがたい無上の喜びであろう。

このあたりから、週刊誌の紀子さんへの風当たりが強くなってきたように思うのだが、私の思い過ごしだろうか。

2015年7月に週刊文春(7/9号)が「『秋篠宮家料理番』の告白」という記事を掲載した。秋篠宮家で長く料理番を務め、その後、いつの間にか自己都合で辞めたという人物を直撃している。元料理番は記者の問いかけに、「もう昔の話なので、何も話すことはありません。思い出すこともありません」と顔面蒼白で語ったというのだ。

これを機に、さまざまな紀子さんについての噂が次々に流れるのである。週刊新潮(1/3・10号)の「『紀子さま』朝令暮改の度が過ぎます」という記事は、かなり辛辣である。