出版不況と言われる中、兵庫県明石市にある社員7人の出版社が、次々とヒット作を生み出している。年商はピーク時で4億円。刊行数は年6~9冊で、1人あたり1~2冊しか作らない。それでも、なぜ「売れる本」を生み続けられるのか。2016年創業の「ライツ社」を立ち上げたキーパーソンに、フリーライターのマーガレット安井さんが迫った――。
ライツ社代表取締役の(左)大塚啓志郎さん(右)髙野翔さん
撮影=プレジデントオンライン編集部
ライツ社代表取締役の(左)大塚啓志郎さん(右)髙野翔さん

「独立してもさほどリスクは変わらない」

兵庫県明石市は、神戸・大阪に近い立地を持ちながら、古くから港町・漁師町として栄え、魚介類が商店街を日々賑わせる街だ。その明石に、出版業界で存在感を高めてきた出版社がある。2016年9月7日に創業した「ライツ社」だ。社員7人の小さな出版社である。

刊行数は年6〜9冊と多くはない。しかし、『リュウジ式至高のレシピ』(30万部超)や『認知症世界の歩き方』(19万部)など、ジャンルを横断しながらヒット作を生み出してきた。

ライツ社から発行された『リュウジ式至高のレシピ』『認知症世界の歩き方』
ライツ社から発行された『リュウジ式至高のレシピ』『認知症世界の歩き方

代表取締役で編集長を務める大塚啓志郎さんが出版に関心を持つきっかけとなったのは、大学時代に先輩から紹介された『1歳から100歳の夢』(いろは出版)との出会いだった。何者でもない人の言葉が本になりヒット作になる。そのことに強く心を動かされ、2008年にいろは出版へ入社。

所属していた出版事業は好調だったが、別部門の業績不振に伴い2016年に会社から給与カットを言い渡される。報われない現実を前に、大塚さんは後輩であり同出版社の営業担当であった髙野翔さんと、独立する道を選んだ。怖さは無かったのだろうか――。

「僕と髙野に子どもが生まれて、このままでは生活できない状況で。売り上げを出しているのに給与は上がらない。ならば自分たちで頑張って結果を出して対価を得たほうが納得できるし、独立してもリスクはさほど変わらないと考えました」

こうして独立した大塚さんと髙野さんは、2016年9月に明石市でライツ社を立ち上げた。

「もうあとがない」を救ったひと言

資金繰りに不安を抱えた状態では安心して本づくりができないと考え、まずは1年間ヒットが出なくても会社が潰れない額を試算。その結果として4000万円を借り入れ、自分たちが作りたい本を、出したいタイミングで出せる環境づくりを目指した。

「1年やってヒットを出せなければ、自分たちにはセンスがない。会社が潰れるのは仕方がない」そんな思いで本づくりに邁進していったが、現実は想像以上に厳しいものだった。

ライツ社は1期目で壁に突き当たった。想定していたほどにヒット作に恵まれず、手持ち資金は一時、1000万円台まで減った。もうあとがない――そんな状況で転機となったのは、出版業界の先輩からかけられた、ある言葉だったという。

「ライツ社を始めた1年目は、売れている本と似たような本を作っていました。あるとき、サンクチュアリ出版の市川聡さん(取締役・営業部長)から『君たちは独立してまで、こんな本を作りたかったのかい?』と言われたんですよ」

本作りの原点に立ち返り、自分たちが心から世に出したいと思う本を模索し始めた。そんなときに出会ったのが、現在は文芸評論家として活動している三宅香帆だった。

「京都の天狼院書店でアルバイトをしていたのが、当時大学院生の三宅さんでした。その書店のブログに書かれた『京大院生の書店スタッフが「正直、これ読んだら人生狂っちゃうよね」と思う本を選んでみた。』という記事を読んだ髙野が『これ、すごいおもしろいと思う』と言うので、会いに行きました」

自分たちの「おもしろそう」を信じる。そうして生まれた『人生を狂わす名著50』はヒットし、8刷・累計2万1500部(2024年時点)を売り上げている。

ライツ社から発行された『人生を狂わす名著50』
ライツ社から発行された『人生を狂わす名著50