43歳で直面した前代未聞の大不祥事
私がメガバンクに勤めていたとき、40歳で広報部次長になりました。自分で言うのも恥ずかしいですが、私は同期の中でトップランナーでした。しかし広報部に配属後、不祥事が次々と起こります。なかでもとりわけ大きかったのが、総会屋利益供与事件(1997年)です。総会屋に巨額の資金を提供していたことが発覚したのです。発覚後、元会長が自殺し、頭取経験者も含めて10人以上が、東京地検に逮捕されるという凄まじいものでした。潰れてもおかしくない状況でした。しかし当時の上層部は、前代未聞の事態にまったく対処できませんでした。
私は広報部の次長にすぎませんでしたが、真相を徹底究明して根絶するための具体案を出し、それを実行に移す姿を世間の方々に見てもらうしかないと腹を括りました。そして私が各担当役員に「こうしてください」と指示を出し、その通り実行してもらいました。後になって広報部長に「君は怖い」と言われ、周囲から「生意気だ」「出すぎた奴」とも言われましたが、そのときはただ銀行を潰したくないという一心でした。
暴力団と直接掛け合ったり、テレビ局や新聞社の記者たちに銀行としての動きや対応を逐一伝えたりしました。記者たちが連日私の自宅に来るようになり、彼らと朝まで議論することもありました。他方、警察にも出向いて1人でも逮捕者を減らせるよう説明や説得に当たりました。そうして関係各所を駆けずり回り、寝る暇もない状況でした。その甲斐あって銀行は廃業を免れ、想定しうる最小限の痛手で事態は収束。気づけば私は「スター行員」と祭り上げられていました。
しかし事件解決の功労者である私に、本部は多額の不良債権を抱えていた高田馬場支店への異動を命じたのです。上層部に言いたいことを言ったため、「あんな奴は本部に置いておけない」と思われたのでしょう。「左遷だ」「小畠(江上氏の本名)もこれで終わり」といった声も聞こえてきました。組織というのはそんなものです。私の銀行マンとしてのキャリアは、40代にして転落しました。程度の差こそあれ、誰しもそういう転機を迎えるのが40代。会社という組織の中で、役員というゴールに辿り着くのはごく一握り。ほとんどは、そのラインから外れていきます。