これぞ柴田勝家といえる豪快エピソード
柴田勝家の肖像画はインパクトが強い。髪もひげもチリチリのモジャモジャで、団子っ鼻で口はへの字に曲がり、目はつり上がって勇ましい。鎧姿で座っているが、首が短く、体型はかなりずんぐりむっくりしている。その点、NHK大河ドラマ「豊臣兄弟!」で山口馬木也が演じる勝家は少々スマートすぎるが、勝家らしい荒々しさと力強さは、よく表現しているように思う。実際、勝家は織田信長を支えた宿老のなかでも、とりわけ猛将のイメージが強く、「豊臣兄弟!」でも山口扮する勝家は、軍議その他で険しい表情のまま、強く厳しい言葉を投げかける。木下藤吉郎(池松壮亮、のちの羽柴秀吉)や小一郎(仲野太賀、のちの羽柴秀長)も何度も怒鳴られている。
勝家の勇猛さを象徴するエピソードに「瓶割り柴田」がある。これは元亀元年(1570)6月、勝家や佐久間信盛らが琵琶湖水系の野洲川(滋賀県野洲市)をはさんで、六角義賢、義治父子らの軍と戦って破った野洲河原合戦の直前のことだとされる。
山鹿素行の『武家事紀』などによると、この戦いに先立って六角父子は、勝家がこもる長光寺城(滋賀県近江八幡市)を攻囲した。この城の弱点は水の補給が困難なことだと聞いた六角父子は、城内で唯一という谷からの水源を止めさせた。危機に陥った勝家は城兵を呼び出し、3つの瓶を前にして、「城内にある水はこれらの瓶だけで、このままでは渇いて死んでしまう」と打ち明けた。そして「余力があるうちに決死の戦いで敵に挑もう」と城兵を鼓舞し、3つの瓶を叩き割ってしまったそうだ。
なぜ後輩・秀吉に出し抜かれたのか
結果は、勝家の軍勢は六角軍を打ち破り、そのまま野洲河原になだれ込んで追い討ちをかけたという。以後、勝家は「瓶割り柴田」とか「鬼柴田」などと呼ばれるようになったとされる。逸話の真偽はわからないが、こうした話がピッタリの人物だったことはまちがいないだろう。
この勇猛さを武器に、勝家は信長に徹底的に忠義を尽くした。天正10年(1582)6月2日に主君の信長が本能寺で斃れた際も、じつはいち早く行動しようとしている。しかし、結局は秀吉に主導権を握られた末、滅ぼされている。なぜそういう結果になったのか。そこには、勝家が信長に仕えた経緯や、人間関係の不運、地政学的に不利な状況などが、さまざまに絡んでいた。

