小さな認証保育所が、大学での「第一歩」
私は総理府に入省して34年間国家公務員を勤め、57歳で退官、女性文化研究所所長・大学院教授兼理事として昭和女子大学に転職しました。途中、埼玉県で副知事を務めたり、在豪州ブリスベン総領事を務めましたが、基本的には公務員であり、そこにしかアイデンティティはありませんでした。ですから大学へ来た当初はカルチャーショックばかりを感じていました。
公務員生活は20代のときは自信がなく大変でしたが、その中で仕事やよき上司との出会いもあり、子どもにも恵まれました。30代で少し光が見えてきて40代、50代は仕事に全力投球していました。無意識に公務員という生き方に「過剰適応」していたかもしれません。
ですから大学に来てみると、何をしていいのかわかりません。それまでは朝は9時半ぐらいから夜は当たり前のように9時、10時まで懸命に働いていたわけです。大学では逆に拘束時間が少なすぎて、ありあまる自由時間をどう使っていいのか見当もつきません。
私は1978年に日本初の「婦人白書」の執筆を担当したことから本を書くようになり、官庁の外で講演もしていました。当時は「講演するなら100人ぐらいは集まってほしい」などと言っていたものでした。
しかし大学で講義をすると、私が学生時代に見てきたような大教室での講義などはなく、20人、30人の学生相手に話すのです。ゼミはもっと少なくて、5人、10人です。「人気がないのかしら」と思いましたが、大学の人からは「そんなもんですよ」と言われました。それだけ規模の小さな大学だったわけです。
学生のみなさんとは興味の対象が違いすぎて、たとえば私が「私はこういう制度をつくりました」と言っても通じません。逆に学生たちの興味の対象が私にはわかりません。
それでもしばらくして落ち着いてくると、大学が置かれた状況が見えてきました。