人とのコミュニケーションには言葉が欠かせない。言葉を駆使して人生を勝ち上がる人は、どこが違うのか。各界を代表するプロフェッショナルに極意を聞いた。第3回は、国際日本文化研究センターの呉座勇一助教だ――。(全4回)
※本稿は、雑誌「プレジデント」(2018年6月18日号)の特集「聞く力入門」の記事を再編集したものです。
信長は「自分は部下の意見をきちんと聞く」と思っていた
憧れの歴史上の人物として、織田信長の名前をあげる人は多いでしょう。不確かな時代を生きるビジネスパーソンが、カリスマ性が高く、進取の精神に富んでいる信長を頼もしく感じるのはよくわかります。
ただ、信長にはリーダーとして決定的に欠けているものがありました。それは、聞く力。信長は人の話を聞かなかったばかりに、松永久秀、荒木村重、そして明智光秀といった部下たちに次々と裏切られるのです。久秀と村重の謀反は何とか鎮圧できましたが、光秀には、寝首をかかれてしまいました。
その原因は、久秀や村重に謀反を起こされたときの反応からうかがい知れます。信長は彼らの謀反のうわさが流れると、「何か不満があるなら遠慮なく言いなさい」という趣旨の手紙を書き送りました。つまり信長は「自分は部下の意見をきちんと聞く上司だ」という自己認識を持っていました。
しかし、部下の受け止め方は違います。信長は部下への要求が非常に厳しい武将です。弱音の1つも吐こうものなら逆にお咎めを食らいます。だから何も言えず、不満が積もり積もって謀反という形で爆発したわけです。
信長は今川義元が攻めてきたとき、籠城を主張した部下たちを無視して出陣し、桶狭間で義元の首を獲ることができました。その成功体験があるので、人の意見を聞くよりワンマンでやったほうがいいと考えています。一方、世間の評判をとても気にする人でもありましたので、「自分は部下の意見に耳を傾ける度量の広い男」というイメージも大事にしたかった。