ではこの転機をどう生きていくべきか。私の経験から言えるのは、40歳になるまでに蓄積してきた知識や経験をもとに、40代は会社や組織のために全身全霊で取り組んでみなさい、ということ。会社に利益をもたらして出世しなさい、なんてセコいことを言いたいのではありません。京セラの創業者、稲盛和夫さんが言うように、「人として正しいか」という観点を持ってほしいのです。「放置すると会社のためにならない」と思う問題があれば、全身全霊をかけて解決する。「この商品を出せば社会にとってよくない」と思えば体を張って商品化を阻止する。本当に「正しいことをしたい」と思うゆえの行動なら、それは組織のためにも社会のためにもなるのです。

ことによっては、ポストを捨てる覚悟で臨まなければならないこともあるでしょう。しかしそれでいいと私は思っています。人として何が正しいかということを考え方の軸に置いていれば、必ず人生の「財産」が得られます。その財産とは「人脈」です。一生懸命に頑張っていれば、周囲の評価も得られます。そして別の分野で頑張っている人と自然とつながります。その人脈が50代、60代、70代を生きる支えになるのです。

私は40代後半で本部から外され、不良債権が多く、業績も低迷する支店の支店長を命じられました。しかしそのおかげで小説を書くようになり、結果として49歳で銀行を辞めて作家として生きていくことになりました。銀行時代に経験したことがすべて小説の素材として生きています。広報部のときに知り合ったテレビ局や新聞社の人たちが今、「テレビに出てください」とか「連載してください」と次々に声をかけてくれます。また、支店時代のお客さんが今も支えてくれています。総会屋利益供与事件で一緒にことに当たった仲間とは、今でもよく飲み会をしています。これは40代を利害に関係なく、組織のために人として正しいことを貫いた結果だと私は考えています。

ですから、40代になったら副業なんてやっている場合じゃない。そんなことをしていたら、本業が疎かになるのは目に見えています。おまえは銀行に勤めながら小説を書いていたじゃないか、と思われるかもしれませんが、私は仕事のつもりで小説を書き始めたわけではありません。実は学生時代から親交のございました作家の井伏鱒二先生に、「小説はいつだって書けるよ」と言われ、銀行に就職することを決めたという経緯があります。支店に移って間もなく出版社から原稿を頼まれたとき、書くべきときがきたと思ったのです。自分では遺書のつもりで書きました。それが結果的に本業になってしまったことは幸運でしたが、それも40代で知り合った人たちに支えられ、刺激をもらえたからこそです。

それなりの経験を積んできて、体力もまだある40代は、生涯にわたる「人脈」という財産を得るチャンス。特に、30代まで昇進第一で小賢しく生きてきたような人はなおさらここで1度、自分の利益を度外視して、組織や社会のために働いてみなさいよ、と言いたい。孔子は「四十にして惑わず」と言いましたが、それは40歳からはそういう生き方をしなさい、という意味なんですよ。

江上 剛(えがみ・ごう)
1954年、兵庫県生まれ。早稲田大学政治経済学部卒業。77年、第一勧業銀行(現みずほ銀行)入行。人事、広報部等を経て、築地支店長時代の2002年に『非情銀行』(新潮社)で作家デビュー。03年、49歳で同行を退職し、作家生活に入る。著書に『ラストチャンス 再生請負人』(講談社文庫)など多数。
(構成=大島七々三 撮影=大沢尚芳)
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