専門性よりもプロジェクトマネジメントを強調

最後に、希望につながるひとつのエピソードを紹介したい。R社人事担当者(1)が語ってくれたことであり、R社の人事の仕事ではなく、個人的にボランタリーで取り組んでいる就職サポートでの経験である。

(ボランタリーな就職サポートを)4、5年ほどやっています。毎年ちゃんと成果を出していて、面目は保っています。でも、今年、難しかったのは、文系大学院の学生で、結構、苦戦しました。最初「行きたい」と言っていたところ十数社は、やはりうまくいなかなくて、文系大学院の就職が難しいことを痛感する経験でした。
内気な子だったので、最初はファーストコンタクトで印象をいかに良くするかという点を重点的にアドバイスをしていました。でも、あるタイミングでわかったんです。それまでは、大学院に進学して専門的な勉強したということもあって、専門性を前面に押し出した売り込みをしていました。専門性はプラスに働くと思っていたので、私自身、あまり気にしていなかったんです。
でも、何でうまくいかないのかということを棚おろししたときに、やはり専門性が前面に出過ぎるとよくないということに気づきました。採用側が、本当に専門性を活かした配属できるかどうかもわからないし、それよりはもうちょっとマルチプレーヤーというか、ユーティリティープレーヤー(いろいろな仕事をこなせる人)を採用したいというのがきっとあるのではないか。うん、あるタイミングで気づいたんです。それで、戦略をちょっと変えようと。
結局、専門性をちらっとPRするのはいいけれども、大学院に進んだことで得られた、いわゆる考えるプロセスとか、結果を出していくためのプロセス、そういうところを前面に押し出して、「自分は成果を出せる人材なのだということを中心にやっていこう」と方針を変えたんです。すると、状況はがらっと変わりました。それから3連勝ぐらいして「ああ、よかったな」と。
この事例だけをみると、採用する側は、もちろん専門性に魅力を感じることもあるかもしれませんが、それより大学院の研究室で教授にがりがりやられて、何かのテーマに対してチームを組んで、こんなプロセスで、こういう時間軸でやっていくという、ちょっとプロジェクトマネジメント的なところも、確実に学部生よりも経験しているわけです。そういうところは評価するのかなと感じました。
(R社人事担当者(1))

企業と大学院生の「すれ違い」は修復できる

この語りからは、変化も起こり得るという見通しが立てられるのではないだろうか。

見極め力や院卒人材に対する過剰な期待の問題から、企業側は大学院生に何を尋ねてあげればいいのか、わからずに彷徨っている。大学院生の側も、勝手がわからず、人事担当者に関心を持ってもらえるような経験の説明をできずにいる。とりあえず、専門の話で面接時間が埋められていくが、結果として肝心な部分を共有しきれない。「すれ違い」が生じているのであり、ただここで強調しておきたいのは、これは修復可能なすれ違いではないだろうか、という点である。

不十分なエビデンスに基づく議論である。ただ、ビッグデータをとれば何でもわかるというわけではないし、エビデンスの大きな役割の1つが「私たちに、腑に落ちる気づきを与える」ことなのだとすれば、以上の議論にも意味はあるのではないだろうか。

思い込みや見落とし、そして過剰な評価――連載第1回でも述べたが、日本では、実態と乖離しつつ学歴が理解されていることが少なくない。学歴とうまく向き合うため、そして学校での学びをどう社会で活かしていくのかを描くため、先行きが不透明ないまだからこそ、気づき、対話し、考えなければいけないことは多いように思われるのである。

濱中 淳子(はまなか・じゅんこ)
東京大学 高大接続研究開発センター 教授
1974年生まれ。2003年東京大学大学院教育学研究科博士課程単位取得退学。07年博士(教育学)取得。17年より現職。専攻は教育社会学。著書に『「超」進学校 開成・灘の卒業生』(ちくま新書)、『検証・学歴の効用』(勁草書房)などがある。
(写真=時事通信フォト)
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