だから、大手企業には目もくれず、ビジネスモデルが大きく違う米国勢よりも、日本に進出していない欧州の中堅医薬メーカーに照準を合わせた。でも、10社ほど訪ねたが全部、外れる。ところが、ある日、「9.11同時多発テロ」による混乱で訪問できなかったフランスの医薬メーカーから、問い合わせが入る。日本進出への支援が付いている点が、魅力だったらしい。03年7月、医薬品の開発・販売権を相互に供与する契約を結ぶ。相手は20のパイプラインを示し、4つを選ぶ。最大の製品になったのが脳梗塞の治療薬。選び出した研究陣を、誇りに思っている。

プログラムには、実は、お手本があった。かつて、米国にあった独企業の子会社が、帝人の開発品目に目をとめて「米国へきたら、こういう提案がある」と言ってきた。訪ねると、「あなたの会社の製品をこう育てるから、将来は米国へ進出して帝人アメリカをつくったらどうか」と告げられた。破天荒な構想だが、概念としては理解できた。実現はしなかったが、その手法を欧州で実らせる。

08年6月に社長になって1年後、社内報にこう書いた。

「世界で何が起きているのか、自ら行動して学ばなければ、立ち位置を定めることもできない時代です。それゆえ、私も何倍も読書量を増やすなど、情報収集を怠らないように努め、時間があれば、セミナーや講演会に出かけるなどして見聞を広めています」

「重要なのは自分とは違う人、とくに自分よりも上のレベルにいる人に多く触れ、そういう人が何を考え、どんな生き方をしているのかを肌で感じることです。そこで受けた刺激が、きっと自分を変え、成長させるきっかけになるはずです」

よかれと思うことを語り継ぎ、引き継いでいくことが経営者の大事な務めだ、と心がけてきた。この4月に会長から相談役に退いたが、その思いは続く。

社長時代に設立した融合技術研究所に寄せる思いも、強い。素材で人工の細胞をつくり、繊維を使って腱をつくるには、すべての技術を融合しなければいけない。そう発想を変えてもらうために、つくった研究所。研究、開発、生産、販売のどの部門も、融合を進化させてほしい。そして、やっぱり「有志者事竟成」だ。

大八木成男(おおやぎ・しげお)
1947年、東京都生まれ。71年慶應義塾大学経済学部卒業後、帝人入社。75年バブソン大学大学院留学。92年医薬営業企画部長、98年東京支店長、99年執行役員、2005年常務、06年専務、08年社長、14年会長。18年4月より現職。
(書き手=街風隆雄 撮影=門間新弥)
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