中国の主要都市を巡り、94年夏に上海で販売権を与える交渉に入る。翌春に、活性型ビタミンDの販売提携契約を結ぶ。巨大市場へ上陸する、大きな一歩だった。以降、教わった手法を、若い人たちに教えた。「必ずやり遂げる」の志を持ち続けるように、と説く。

志が生む提案力と説得力は、2001年8月に発売した骨粗鬆症の治療薬でも、発揮した。ある研究者がイタリアでみつけ、日本での販売権を取得したが、そんなにすごい薬とは思っていなかった。ところが、世界一の米薬品メーカーが関心を持ち、そのイタリア企業を買収してしまう。米メーカーには、日本に子会社があった。親会社は、もちろん、自分の子会社だけに売らせたい。

四十代を終え、東京支店長に出ていたが、交渉役に呼ばれ、両社で併売する形に持ち込む。開発を終え、認可までの手続きも済み、2社で販売競争を始めた。医師や医療機関を回って、薬に関する情報を提供して普及を図る「MR」と呼ぶ要員は、相手が約1500人、帝人は300人。5分の1の陣容だが、ここでも必ずやり遂げるという志をバネに、65対35の売上高比率で大勝する。米国の親会社も、帝人の販売力を認めた。

「有志者事竟成也」(志有る者は事竟に成る)――何事もやり遂げるという志があれば、必ずや成功するとの意味で、中国の史書『十八史略』にある後漢の始祖・光武帝の言葉だ。揺るがぬ「志」で提案力や説得力を示す大八木流は、この教えに通じる。

「日本進出」で誘う欧州の企業めぐり

大八木流の極めつけが「日本進出サポートプログラム」だ。骨粗鬆症治療薬の問題を併売でまとめた後、約2年、欧米の中堅医薬メーカーを巡回した。新薬のパイプライン(医療用医薬品候補化合物)の発掘のためで、プログラムはその際に携えていった提案書だ。

帝人は、それまで海外医薬の販売権を得ることが中心で、パイプラインの獲得例は少ない。でも、開拓を始めたアジア市場での展開にも、新薬が欠かせない。ただ、新薬開発の許可は、簡単に出ない。そこで考えたのがプログラム。

全国で自社販売網を築いた経緯を示し、「あなたの薬の日本での販売網を、短期間に構築します」と言って販売権を求めるだけでなく、「日本での臨床試験は、帝人の資金でやります。その代わり、販売権は10年にして下さい」と続け、最後に「あなたも、日本に子会社をつくりたいでしょう。それもまとめてあげますが、1品目ずつでは難しいから、パイプラインをまとめて下さい」と提案する。