日本の学校では多数決がよく使われている。それは子どものためになるのか。千代田区立麹町中学や横浜創英中学・高等学校で校長を務めた工藤勇一さんは「多数決を小さなときから学校で当たり前にやっていれば、『対立が起きたら相手を打ち負かせばいい』という発想を持った大人を育ててしまう」という――。

※本稿は、工藤勇一・苫野一徳『子どもたちに民主主義を教えよう 対立から合意を導く力を育む』(あさま社)の一部を再編集したものです。

教室で手を挙げる中学生
写真=iStock.com/mapo
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文化祭の出し物「ダンス派8割、劇派2割」

【工藤】実際に学校の現場で、多数決を使わずに、「誰一人置き去りにしない社会」をつくるとはどういうことか、僕から具体例を話したいと思います。

先ほど文化祭の出し物の例を挙げましたが、たとえば、ある学級で8割の子がダンス派、残りの2割が劇派に分かれたとします。最近はSNSの影響でダンスが人気ですよね。一方で「人前で踊るなんて絶対にイヤ!」という子も当然いるわけです。リズムに合わせて体を動かすことが苦手で、ダンスを踊ることが嫌いな子どもです。

ここで多数決を使ってしまうとそういう子たちが苦痛を感じるだけです。しかし、麹町中のように「少数派を切り捨ててはダメよ」と普段から教えていれば、答えを見つけるまで対話を続けるしかない。ダンスに決めたら誰が困るのか、劇にすると誰が嫌な思いをするのか。誰の不利益にもならない方法はないのか、と。

すると、ある子どもからアイデアがでてきます。「ミュージカル風の劇ってどうだろう?」何幕かの構成にして、ダンスをしたい子はダンスパートで踊り、劇がしたい子は劇のパートで演じ、人前にでたくない子は舞台照明や音響、脚本などの裏方につく。これならみんなやりたいことができて全員楽しめるよね、と。その発言が子どもからでてきて、採用されたというストーリーです。

「相手を打ち負かせばいい」という大人が育つのは当然

【苫野】すばらしい。

【工藤】こういう意思決定の仕方が僕の考える本当の民主主義です。

意見対立のある状態から「誰一人置き去りにしないためにはどうしたらいいか」を共通のゴールにして、みんなで考え続ける。教員や学級委員長に上から決めてもらうのではなく、全員が当事者として頭を使い、対話にくわわる。こういう光景をもっと当たり前のことにしたいんですね。

多数決の問題は少数派を切り捨てることと言いましたが、言い方を変えると「利害関係の対立をそのまま放置する」ことです。多数決を小さなときから学校で当たり前にやっていれば、「対立が起きたら相手を打ち負かせばいい。負けたら従うしかない」という発想をもった大人しか育たないのは当然ですよ。

【苫野】「対話を通した合意形成」の発想自体がわきづらいですね。