試行錯誤の経験を通して子どもたちは学んでいく
【苫野】最上位目標で合意していれば、ある程度任せても子どもたちだけで話をつけられますか?
【工藤】そうですね。試行錯誤の経験を通して、子どもたちは学んでいきます。ですから、時間がかかるものもあります。4年ぐらいの時間をかけて変えることができたものもあります。たとえば麹町中には、伝統行事だった学級対抗の合唱コンクールがありましたが、これは生徒たちが自らなくしたんです。
最上位目標での合意についても、この本で僕たちが伝えたいことを理解してくれる読者であれば必ずできるはずです。だってやることは「誰一人置き去りにしない状態」、「みんながOKと言える最上位目標」とはどんなことなのかを考えればいいだけですから。
たとえばアイデアを大量にリストアップして、「これを実現させたとしたら不利益を被る人はいるだろうか」と、消去法で絞り込んでいってもいいわけですね。そしてそれが決まったら、あとは子どもたちに「この状態を目指して仕組みやルールづくりをみんなでしてごらん」と言えばいいだけです。
「最上位目標」は大人が設定してあげればいい
【工藤】市民教育の字面だけだと難しそうに見えるけれど、実はこんなにシンプル。そもそも日本の多くの教員は文化祭の目的なんて考えていないでしょう。よくわからないスローガンをつけるのは好きだけど、実際には他の教員から「今年のおたくのクラスよかったね」と褒められるため、けなされないために学級担任は必死になって指導をしています。子どもが本当にかわいそうですよ。
だって数の暴力でやりたくもないことを無理やりやらされた挙句、うまくできなかったら教員に怒鳴られるんですから。逆にうまくできたとしても、合唱コンクールで勝利したクラスの生徒たちのように、これこそ正しいやり方だ、素敵なことなんだと刷り込まれていくことも心配しています。
【苫野】本当ですね。そうやって、「これはそもそも何のため?」を考えることがますます苦手というか、あまり考えなくなってしまうんでしょうね。
【工藤】とくに日本では、決められたことに従順になる教育を受けているから、なおさらです。だから小学生や中学生くらいのうちだったら、最上位目標を無理に子どもたちに考えさせる必要はなくて、大人が責任をもって考え、設定してあげればいいと思います。そこで失敗すると民主主義教育にまったくなりませんから。